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雪の笠間 [ちょっと遠出]

今年は雪が多い冬です。晴れ間を縫って、陶器を買いに笠間に出かけました。

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途中、地元で人気のお蕎麦屋さんへ。

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腰があってのど越しの良いおそばと、蕎麦がきのぜんざいを頂きました。

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笠間では友人へのお土産に陶雛をいくつか。雪景色の回廊です。

冬の幸 天草 [ちょっと遠出]

今週、天草に帰省しました。

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九州地方は生憎のお天気で、晴れた日には良く見える普賢岳も、今日は雲の中。

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家から歩いて5分程の漁港もひっそりと静まり返っていました。


それでも、海の幸は豊富です。

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久しぶりに包丁を取ってアジのたたきを作り、

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ガラカブ(かさご)やタイのあらで暖かい鍋を頂きました。


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ひと晩は出かけて、カミさんと気に入ったお寿司屋さんに。この時期カナギ(きびなご)が旬。ヌタで頂くお刺身は天草ならではのご馳走。普段は縁遠い新鮮な海の幸を満喫しました。

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帰る日はぐっと冷え込んで、熊本空港から望む阿蘇の山々も、うっすらと雪化粧をしていました。

ベトナム旅日記 その3 観光 [ちょっと遠出]

ベトナムに来てからコンサートと練習が続いたので、余り観光の時間が取れませんでしたが、それでも空いた時間を見計らって、何箇所か観光をしました。

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ホーチミン廟は現在内部を改修中で、ホーチミンさんの保存遺体を見ることはできません(ま、あんまり見たいものでもありませんが)。手前の女性たちが被っているのは、農村で良く見かける伝統的な編笠ノン・ラー(ノンは笠、ラーは葉の意味)です。農作業に良さそうなので私も買いました。

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ホーチミン廟前の広場を挟んで、モダンな建物が建設中です。国際会議場とのことですが、外国の資本が入り始めて、首都ハノイは急速に発展しています。

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文廟(孔子を祀ったお寺)は1070年に建てられた孔子廟です。入口には三関門があります。オレンジ色の敷石はベトナム中部の町で作られるバッチャン焼のレンガです。

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丁度学生さん達が卒業写真を撮りに来ていたので、鮮やかなアオザイ姿を見ることが出来ました。今、町中では殆どアオザイ姿の人を見かけることがありません。

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ハノイのHang Gai 通りには、伝統楽器や


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シルク刺繍絵のお店が軒を連ねています。シルク刺繍絵で大きなものは、仕上げるのに二人がかりで1年ぐらいかかるそうです。

旅の最終日は、世界遺産であるハロン湾の観光に出かけました。ハノイからハロン湾までは、片道4時間弱のドライブです。

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途中、ハノイと東の海岸を結ぶ鉄道と並行して走ります。ハロン湾まで行く列車は一日一便とのことですが、運よく遭遇しました。速度は毎時15km程度、バイクにも簡単に抜かれます。

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ハロン湾の船着き場ベンタウ・ズーリックで我々6人を待っていたのは、30人は楽に乗れるかというこの遊覧船。贅沢な貸し切りでした。

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湾内をクルーズしていると、漁船が横付けされて、果物や採ったばかりの海産物を売りに来ます。買うと船のキッチンで好みに料理してくれます。

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大き目のシャコが美味でした。

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「海の桂林」と呼ばれるハロン湾。奇岩の絶壁が並びます。水上生活をする人たちの住居も見えます。

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ダウゴー島にはハロン湾内一番の鍾乳洞である「天宮洞」があります。広い洞窟の中では、自然が作った見事な造形を楽しむことができました。

足掛け9日間、駆け足の旅でしたが、音楽を通して多くの人たちと知り合い、年齢を越えて輪が広がった楽しい旅でした。

ベトナム旅日記 その2 ベトナムの食材と料理 [ちょっと遠出]

【フォー】

ベトナムの食事と言えば、フォーが有名です。今回の滞在中何回も食べましたが、場所によって味が色々あるので飽きることがありません。

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牛肉を乗せたPho Boや鶏肉を乗せたPho Ga、どちらも香菜(パクチー)をたっぷりと入れて食べます。付け合わせは中国の油条(ヨウティアオ)に似ていますが、少し硬めです。

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夜の演奏会の後は夜市に出かけました。ここでもやはり具を色々載せたフォーが人気です。

【市場】
ホーチミン市では練習の合間にベンタイン市場に出かけました。

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香辛料も豊富です。


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広い市場の真ん中に軽食堂がひしめき合っているのは、台湾と同じ風景ですね。この市場には食材ばかりでなく、衣料品、土産物があるので観光客が多く訪れるせいか、出店の間の細い通路を歩いていると、度々袖を引かれます。

ハノイではタンコン市場を見学しました。市場周りの商店も活気があります。

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ドリアンの他、台湾で良く食べたドラゴンフルーツ、ランブータン、マンゴーにパパイヤ、それにロンイェン(龍眼)やシャキア(釈迦頭)もありました。

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市場では旬の食材や日常品が置かれ、地元の人たちでごった返していますが、バイクが狭い構内まで入って来るので要注意です。

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お米の種類も豊富、揚げ豆腐は中が柔らかくクリーミーです。

【家庭料理】
滞在中、お世話になったベトナムの方お二人から、食事のご招待を受け、家庭料理をご馳走になりました。

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「ブンチャ」は「フォー」と並ぶベトナムの代表的な食べ物です。麺春巻きや肉団子、野菜をたっぷり入れて、そこにヌックマム味の熱々スープをたっぷりかけていただきます。

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その国の料理を知るには、何と言っても家庭料理が一番です。ヌックマム(魚醤)と香菜、スパイスの利いた味・・・心のこもった美味しい手料理に身も心も温まりました。




ベトナム旅日記 その1 コンサートツアー [ちょっと遠出]

10/14(月)から10/22(火)の間、ギターを教えて頂いている角圭司先生や生徒仲間、それに何故かカミさんも一緒に、ベトナム・コンサートツアーに出かけました。実質7日間の滞在期間中に、多くの演奏会や交流会を催し、その合間を縫って足早に観光をするという忙しいスケジュールでしたが、多くの方々と知り合うことが出来た有意義な旅でした。

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秋めいた日本を飛び立って約5時間、ホーチミンの空港に降り立つと気温は30℃、雨季の最後ということもあって、南国特有の蒸し暑さです。

ホーチミンとハノイというベトナムの二大都市を訪れた一週間の間に、ジョイント・コンサートが3回、2つの音楽大学との交流会と演奏会、マスタークラス、日本語学校でのレクチャーコンサートを2回と、ギターの演奏イベントが11回もありました。

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10/15(火)の午前中はホーチミン音楽院を訪れて、交流会に参加しました。

夕食後は文化センターで角先生と音楽院のHuy教授、それにGuitar Sigon(四重奏団)のジョイントリサイタルが開かれました。こちらの演奏会は夜8時から、遅いスタートです。しかも客足を見て開演時間を決めるので、出足が悪いとズルズル遅れます。それでも前宣伝が利いていたのか順調に客足が伸びて、10分ほどの遅れで開演しました。

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第1部はHuy教授の独奏と重奏、

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第2部は角先生の独奏と、Guitar Sigon Quartetのプログラム構成でした。Guitar Saigon Quartet のメンバーは、アマチュアの方々ですが、見事な演奏でした。

翌日の午前中はホーチミン音楽院で角先生のマスタークラス、午後はさくら日本語学校でコンサートを終えた後、夕食後にはホーチミン音楽院の先生や学生さん達と喫茶店でミニコンサートをしました。

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この部屋はギターの演奏会専用に音響設計されていて、弾く人聴く人共に気持ち良く音楽が楽しめました。

10/17午前の飛行機でホーチミン市からハノイ市に移動し、午後5時からハノイ大学日本語学部でコンサートをしました。

10/18(金)の午前中に、国立ハノイ音楽大学(National Academy of Music)を訪れました。

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さすがに音大の先生方の前でソロの演奏をするのは緊張します。


10/19(土)の夜8時から角先生とベトナムのギタリストPhucさんとのジョイントコンサートが開かれ、演奏会の後、ハノイ音大の先生たちとレストランで夜更けまで懇親会(弾きっこ)をしました。

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終わったのは日付の変わる12時過ぎ。皆さんギターが本当に好きですね。


10/20(日)夜8時からツアー最終のコンサートがタンロンホールで開かれました。 日本側、ベトナム側の演奏、それと両国メンバーによる二重奏など、演目が盛りだくさんで、幕が下りたのは10時半、それからホテルに帰って、打ち上げに繰り出しました。こちらに来てから楽しい夜更かしが続きます。

天草~下島周遊 [ちょっと遠出]

今週は天草に帰省しました。たまたま出かけた用事で、下島の八代海側にある楠浦の村を抜けようとすると、古い石橋が目にとまりました。

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天草には本渡の祇園橋以外にも、いくつか石の橋が残っていますが、方原川に掛るこの眼鏡橋は美しい原形を留めています。作られたのは明治11年、地元の下浦石を使っているそうです。

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楠浦から西海岸の下田へ抜ける途中の山道の両脇には、渓谷沿いの狭い土地に棚田がへばりつくようにありました。江戸時代に天領だった天草は、島原・天草の乱の発端となった過酷な徴税があり、こんなに大変な山の中の狭い土地も開墾されたのではないかと思われます。

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道端にはお地蔵さまと鎮守の森がありました。



下田から「天下無双の土」天草陶石の産地である高浜へ向かいます。

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寿芳窯の窯元上田家は江戸時代から17代続く名家で、周りの山を借景にしたこの館は、7代目当主が文化12年(1815)に建てた築200年のお屋敷です。

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昼食は崎津天主堂近くのお店でチャンポン。異様に具が大もりのチャンポンが多い中で、このお店の素朴な味が気に入って、近くに来た時はいつも立ち寄ります。凪ぎの羊角湾に小舟が浮かぶ静かな午後です。

帰路、福連木の村を抜けると周りは稲の刈入れの真っ最中。暖かい九州ですが、関東より刈入れ時期が2週間ほど遅いようです。

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ついつい気になって車を止め、作業をしていた地元の人とお話をしました。八郷では殆どの農家がコンバインで刈り取って乾燥機に掛けますが、天草では未だ掛け干しをする農家がたくさん残っていて、山裾に延々と稲藁の列が続きます。

天草のお米が美味しいのは、山の沢水を使い、天日干しをしているせいかもしれません。

冬の日光 [ちょっと遠出]

昨日は母の七回忌の法事で、お坊さんにお経をあげて頂きました。
読経の間何となく卒塔婆を見遣り、母の戒名を忘れていた自分の親不幸に恥入りました。

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法事の終わる頃から生憎小雨が降り始めましたが、大阪からやって来た兄夫婦と共にお墓を掃除して卒塔婆を添え

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お線香とお花を供えました。


法要の後、4人で雪の日光に出かけました。

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日光へは男体山や白根山など奥日光の登山で何度も来ていますが、東照宮を訪れるのは小学生だった子供たちを連れてきて以来ですから30年振りくらいでしょうか。

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この季節、標高1300m弱の中禅寺湖は昼でも氷点下、

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湖畔に佇むと湖面を渡る風に身体の芯まで凍えます。

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この寒さに華厳の滝も水しぶきが凍りついていました。


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兄夫婦を日光駅に見送って振り返ると、人気のない町並みの向こうに男体山の姿がありました。

五浦 [ちょっと遠出]

今日は北茨城五浦(いづら)にある岡倉天心記念五浦美術館で開催されている再興院展を見に出かけました。

陸前浜街道(国道6号)を日立から勿来関跡へ向かう道の途上にある五浦は、その地名の由来となった「小五浦」「大五浦」「椿磯」「中磯」「端磯」の五つの入江や磯、断崖などの入り組んだ地形が続く景勝地で、岡倉天心はここを日本美術院の拠点として晩年の8年間を過ごしました。
天心の薫陶を受けた横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山も家族と共にこの地に居を構えて創作活動を続けましたが、残念ながら現在残されているのは天心の住居のみです。

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美術館に行く前に、天心の住居に立ち寄りました。一昨年の大震災で岩場にある六角堂観瀾亭が失われたものの、一段高くなった台地に建てられていた住居は津波の難を逃れました。

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邸内の庭は海岸線まで続き、波の浸食で削られた断崖の上からは太平洋が見渡せます。今日は風もない小春日和、磯に繰り返し打ち寄せる波の音が心地よく響きます。

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再興院展では大正時代から平成に至る院展の作家たちによる約70点の作品が展示されていました。日本画の系譜を時代を追って一堂に見ることは稀なので、興味深く観賞することができました。

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建物のデザインが印象的だったので、帰り際に館員の方に美術館を設計した方を尋ねると、内藤廣さんとのことでした。明るく広い窓から展望される風景など、氏の作風である「自然景観との共存」が感じられます。実は八郷での生活を始めるにあたって、土地を世話してくれたSさんが、家を建てる参考になればと何軒かの住宅を案内してくれました。殆どが芸術家の方だったので私たちが生活するには余りにも斬新過ぎましたが、そのうちの一軒が内藤廣さんの設計した「筑波・黒の家」で、まさに自然と共存した家という印象でした。

山陰の旅 - 石見銀山 [ちょっと遠出]

日本海を望む山陰道を離れ、石見街道を30分ほど山間に入ると、石見銀山があります。16世紀初頭から大正時代の末まで400年にわたって採掘された石見銀山には、大小600余りの坑道があり、大航海時代の16世紀から17世紀にかけては、世界の銀産出量の約3分の1を占めた日本の銀のかなりの部分が石見銀山で産出されたそうです。

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銀山川と平行した一本の緩やかな街道に沿った集落を抜け、

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鬱蒼とした森の中の道を登ると、鉱山の入口がありました。


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間歩と呼ばれる坑道は、腰をかがめて歩くのがやっとの狭いものですが、1日5交代でようやく1尺進んだということですから、大変な苦労だったでしょう。

鉱山を出て来た道を散策しながらゆっくりと下り、

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街道に面した一軒のお店に入ってひと休みしました。土間で履物を脱ぎ、広い板の間を通り抜け、

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広い中庭を楽しみながらたっぷりのコーヒーを頂きました。

このお店は30年前に夫婦二人で布地の小物の製造販売から始めたそうですが、今では全国の専門店で売られるブランドになりました。


(後記)
今回の旅で島根県の松江、出雲、石見を訪れました。島根県の2012年の推計人口は、全国47都道府県の中で下から2番目の約70万人、東京都の約20分の1、人口密度でいえば70分の1です。

東京が余りにも肥大化し過ぎて、東京からの距離が近いことが何となく文化に近いという錯覚に陥りますが、色々な土地を訪れるにつけ、それぞれの地方に固有の文化が大切に残されていると感じます。

里山の風景を作る田畑や山林などは、そこに住む人の自然と共存する営みがあってこそであり、それぞれの土地固有の文化や伝統は、生活環境と切り離して考えられないもので、それを継ぐ世代がその地に生活を続けてこそ受け継がれるものです。住む人たちの郷土愛が、文化を育むバロメーターだと強く感じた旅でした。

山陰の旅 - 松江 [ちょっと遠出]

出雲大社にお参りした翌日、少し足を伸ばして松江を訪れました。松江城と小泉八雲の旧居を見たかったからです。

松江城は慶長5年(1611年)に初代藩主堀尾吉晴が、宍道湖の北東湖畔亀田山に築城した平山城です。

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クスノキの大木を見上げながら石段を上がると

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入母屋の出窓をつけた5層の天守閣が現れました。


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望楼に登ると、南に宍道湖が見えました。


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宍道湖から引かれた堀川沿いを北に周ると

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程なく小泉八雲の旧居に着きます。


40歳で来日してから東京で亡くなるまでの14年間、松江、熊本、神戸、東京を転々とした小泉八雲がこの家で過ごしたのは僅か5ヶ月という短い期間でした。

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「庭のある侍の屋敷に住みたい」と願った八雲にとって、枯山水の庭を持つ武家屋敷が、日本の美を書に著わす大きな手助けになったことは想像に難くありません。


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旧居の並びに創業120年の和菓子屋さんがありました。茶人としても一流であったといわれる江戸時代後期の松江藩主松平治郷(はるさと)公によって根付いた茶の湯と共に、松江の和菓子も長い歴史を持っています。このお店の初代が創った「朝汐」を頂きましたが、「甘さ控えめ」が流行りの最近では珍しく、「甘くて美味しい」お饅頭でした。

山陰の旅 - 出雲 [ちょっと遠出]

今回山陰に出かける前に、出雲に住む学生時代の友人に会おうと連絡したところ、「たまたまボランティアで出雲の観光ガイドをしているんだよ」とのことで、私たちに半日お付き合いして案内をしてくれました。

学生時代にクラブの先輩の下宿に良く集まった仲間のひとりであるその友人とは、互いに仕事が関西と関東で行き違いだったせいもあり、卒業以来の再会でしたが、物静かな語り口とおっとりした仕草は学生時代そのままでした。

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先ずは腹ごしらえと、出雲大社からほど近いお蕎麦屋さんへ。出雲と言えばやはり割子蕎麦です。

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食事を済ませた後は参道正面から、

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両抱え以上もある松の大木が並ぶ参道の玉砂利を踏み分け、


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御仮殿へ。


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今、本殿は5年の歳月をかけた「平成の遷宮」の真最中で、ようやく終わった桧皮葺の屋根が西の回廊越しに少しだけ見えました。

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来月半ばに始まる旧暦10月の「神無月」は、出雲では日本中の神様が集まる「神在月」で、その時には神々の御宿である東西十九社が扉を開けて待ち受けます。

御仮殿で大社特有の二礼四拍手一礼のお参りを済ませた後、出雲古代歴史博物館に立ち寄りました。

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出雲で出土した400点以上の銅剣、銅矛、銅鐸が一堂に展示される姿は圧巻です。

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屋外の舞台では、美川西神楽社中の人たちによる神楽「大蛇(おろち)」が上演されていました。須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治する有名な物語を題材にしていますが、時に口から火を吹きながら舞台狭しとばかりに繰り広げられる熱演に、観客は拍手喝さいを送りました。

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T君は別れ際に旧大社駅を案内してくれました。平成2年の廃線以来使われていない駅のホームは草蒸していましたが、

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明治45年6月の開業以来親しまれてきた純日本風の駅舎に入って


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鉄路で結ばれた全国各地の名前を見ていると、何となく切符を買う人の思いが伝わってくるような気がしました。

高野山 [ちょっと遠出]

カミさんの親友が無くなってから4年、菩提寺に納骨をされるご家族と一緒に高野山を訪れました。
高野山を訪れたのは、和歌山に住んでいた30年前以来のことです。学生時代からの友は、乳飲み子を抱えて東京から遠路和歌山まで遊びに来てくれたこともありました。無くなった友の面影を残すその乳飲み子も、今では一児の母親となりました。

前日は竜神温泉の宿で夜遅くまで思い出話にふけり、

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翌朝、日高川沿いに竜神街道を遡って高野山に向かいました。

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護摩壇山の展望台からは、深く折り重なる峰々の向こうに、山上ヶ岳から釈迦ヶ岳に至る大峰の山々が見渡せ、そこには1300年来修験道の行者が行き交う奥駈けの道が続きます。

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納骨と直会を終えた後、金剛峯寺の境内から

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参道を進むと


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木々の葉が少し色付き始めていました。


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長い時を感じさせる無垢の寺社が多い中で

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まばゆい程に朱が映える根本大塔の対照が印象的でした。


益子 [ちょっと遠出]

今日は水鉢を探しついでに益子へ出かけました。

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益子へ来たら先ず「益子参考館」へ。ここでは濱田庄司、河合寛次郎などの作品が見られます。前回来たのは震災前の寒い冬。

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青空に映える白いサルスベリの花の向こうに、震災の大きな爪痕が残っていました。大谷石の蔵を修復するのは大変なことでしょう。

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日本民家特有の長い軒さきに日差しを遮られた広縁は、風の通り抜ける心地よい空間です。


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街中を散策しながら何件かのお店に立ち寄り、手頃な大きさの水鉢を求めました。

八郷への帰り道に町はずれの沖縄料理のお店でお昼ご飯。

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陶芸家のご主人と生前親交があった福田謙二郎さんの柔らかいタッチの絵が飾られた部屋で

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本土特有の平麺のソーキそばとタコライス、島豆腐を食べたいというカミさんのリクエストでゴーヤチャンプル。どちらも驚くほどのボリュームで食べきれず、「お持たせ」にしてもらいました。

松本の湧水 [ちょっと遠出]

これまでは登山で遠方に出かけても山登りだけでトンボ帰りをしていましたが、今回は帰りのドライブが長いこともあって、下山後に松本の浅間温泉に一泊しました。翌日の早朝、市街を散策すると

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未だ9月の頭とはいえ、山々に囲まれた標高600mの街は涼しく

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しばらく松本城のお堀端を歩いた後、


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お城から1km程南に下った「源智の井戸」に立ち寄りました。ここは平成の名水百選にも選ばれた湧水で、早朝から水汲みに訪れる人が絶えません。

北アルプスの豊富な雪は天然の貯水で、雪解け水を利用した安曇野の山葵田などが知られていますが、女鳥羽川と薄川の複合扇状地の上にある松本市街では、至る所で豊富な湧水が得られます。

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町名にも湧水に由来したと思しきものを見かけます。


源智の井戸は戦国時代末期に小笠原氏によって城下町が作られる以前から利用されていた井戸で、松本の酒蔵は皆この湧水を使っていたそうです。飲んでみると非常に当たりの柔らかい水でした。

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水量も多く、溢れた水は水路となって路地を流れて行きます。


私たちが生活に利用できる淡水は地球上に存在する総水量の0.8%だそうですから、このように豊富な良質の水がふんだんに利用できるのは、本当に恵まれた環境だと思います。

八ヶ岳倶楽部 [ちょっと遠出]

南アルプス登山の帰り道に八ヶ岳倶楽部に立ち寄りました。
敷地内に広がる雑木林は解放されていて、いつでも自由に散策することができます。

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朝の林は高原の冷気が心地良く


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木漏れ日を透かす木の葉や、揺れ動くミズナラの陰が風を感じさせます。


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そんな中ですっくとそびえる白樺は、雑木林の主役


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散策の後、箱庭に面したレストランで

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ティータイム


手入れの行き届いた雑木林を散策して、心和んだひと時でした。






春風萬里荘 [ちょっと遠出]

水戸線笠間駅南の森の一角に、 北大路魯山人の住居「春風萬里荘」があります。元々は鎌倉にあったものを昭和40年に移築したものです。

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門を入ると

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縁側の前に唐風の水鉢が置かれた茅葺の民家が目にとまりました。


真夏の日差しが照りつける外から、日本家屋特有の長い軒先を一歩民家に入ると

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格子窓を通して心地よい風が通り抜けます。

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長い濡れ縁の先には枯山水の石庭


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蓮が賑わう広い庭園を散策した後


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緑あふれる庭を望む茶房で、冷たい飲み物を頂きました。


魯山人が住んでいた当時のままに残され建物のそこかしこに、彼の才を偲ばせる工夫が垣間見られて、楽しいひと時を過ごすことができました。



天草国際トライアスロン大会 [ちょっと遠出]

日本で初めてオリンピックの公式認定距離(水泳1.5km、バイク40km、ラン10km)でのトライアスロンが行われたのは1985年、場所は天草でした。その7年前、1978年に世界で初めて開催されたホノルル大会の参加者は僅か15人、まさにアイアンマン(鉄人)・レースと言われる所以ですが、今ではアイアンウーマンも含めて日本国内だけでも愛好者が10万人を超えるそうです。

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我々が天草に滞在していた6月3日は、偶然にも第28回大会が開かれる日で、

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茂木根の海岸は多くの人たちで賑わっていました。



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8時前、海外からの参加選手も含めた選抜のエリートクラスが号砲と共に一斉に海へ

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水しぶきをあげて力強く泳ぎ出し


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1.5kmを泳ぎきると砂浜を駆け上がり


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今度はバイクに乗って

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40kmのロードへ


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少し時間を置いてスタートするエージクラスは浅瀬でウォームアップ。こちらはのんびりした雰囲気でレースを楽しむ様子です。


日が高くなるにつれて気温も上がり

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木陰で涼む観客をよそに

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撮影班はカメラアングルを求めて突堤の先端まで繰り出し


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事務局スタッフは日焼け防止の完全防備体制です。


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レースの終着点は陸上競技場。順位の上下に関わらず、完走した鉄人たちに惜しみない拍手と

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様々な賞品が送られました。


高校生から70歳以上のシニアまで、男性も女性も真剣にレースに取り組む姿を目の当たりにして、拍手を続けた手のひらに心地よい痛みが残った一日でした。

小国町から通潤橋へ [ちょっと遠出]

瀬の本高原から小国町に向かってR422(日田往還)を西に進むと、お土産屋さんの裏手に夫婦滝があります。

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ここは阿蘇山系の小田川と、九重山系の湧水を集めた田ノ原川が合流する所、流れは筑後川から有明海に至ります。古来、滝のある場所は危険なことから、滝にまつわる恐ろしい話が伝わることが多いのですが、

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ここはそれぞれの川にある女滝と

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男滝が向かい合っていることから、


縁結びの滝として知られています。

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小国町にあるもう一つの滝は下滴水の鍋ヶ滝。水量も豊富で

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水しぶきを浴びながら滝の裏側に回ると、水のカーテン越しの新緑がまばゆく光っていました。

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滝へ通じる道の入口には、地元の人から「ほこみやさん」と親しみを込めて呼ばれる鉾納社(宝来吉見神社)があります。樹齢700年以上と言われ杉は見上げるばかり、境内は崇高な雰囲気です。

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小国町は北里柴三郎の生まれた地。帰省の際の住居と図書館が保存されています。二階からは山間の村を越して、小国富士と呼ばれる湧蓋山が望めます。

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牛が放牧される阿蘇の高原を南に向かい


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山都町にある「通潤橋」を訪れました。通潤橋は江戸末期の安政元年に造られた灌漑用水路で、深い谷に囲まれた台地に遠方の川から水を引くべく、アーチ式の石組みで造られています。何事も人力で行われた当時のことですから、大変な苦労だったと思います。

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今も農業用水として利用されているので、水が必要な田植えの時期は放水を見ることはできませんが、橋の上に出ると水の張られた棚田が、森の影と空を写し出していました。

阿蘇から天草へ [ちょっと遠出]

この一週間ほどカミさんの郷里天草に帰っていました。今回は阿蘇山麓で一泊、翌日は通潤橋のある山都経由で天草に向かいました。

空港から東に向かう豊後街道を外れて山道をしばらく走ると

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英国式の小さな教会、セントフランシス「森の教会」がありました。イングランドのコッツウォルズ地方にあった修道院を移築したもので、今は結婚式場として使われています。

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扉を開けて中に入ると、吹抜けを通して

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ステンドグラスから、明るい光が差し込んでいました。


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二階から眺める堂内、簡素な中にも美しさを感じます。


外に出ると、丁度庭仕事をしていたオーナーの方に

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「コーヒーでも」と誘われて隣りのレストランへ。

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手入れが行き届いた庭も案内して頂きました。


少し休憩した後、阿蘇スカイラインからやまなみハイウェイへ。

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生憎の霧でうすら寒い兜岩展望所ですが、


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阿蘇と言えばジャージー牛。大好きなソフトクリームを食べてから、大観峰へ向かいました。

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今日の泊りは九重山系に連なる猟師山山麓の宿。

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明るい縁側の着いた畳の部屋が心地よく、

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露天風呂に浸かると見渡す限りの草原が目の前に広がりました。


会津へ [ちょっと遠出]

先週は那須、裏磐梯へ出かけました。

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那須連山を周回して北の会津側に出ると、深い雪に覆われた三本槍岳が青空にくっきりと浮かんでいました。

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除雪された道端にまだ1m以上も雪が積もっている山道を2時間ほど走って、

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「からむし織の郷(昭和村)」に着きました。イラクサ科の植物「からむし」は大麻と並んで麻織物に使われますが、沖縄の芭蕉等に比べると少し薄くて柔らかい感触がします。

この日は裏磐梯に向かい、学生時代からの友人Nさんご夫婦が営むペンションに泊りました。昨年の震災以降苦労が多いことでしょうが、そんなことはおくびにも出さず明るく迎えてくれました。

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早朝、散歩した曽原湖畔から眺める磐梯山。春の訪れとともに、長く氷に閉ざされた湖面も緩み始めました。

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翌日はNさんに薦めてもらった柳津美術館で斎藤清さんの版画を観賞しました。和紙に刷りこまれた版画の柔らかい色合いと肌合いが何ともいえず、画題とも相まって暖かい気持ちになりました。

その後会津若松へ。

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ひと通り名跡を廻った後、

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末廣酒造の酒蔵を見学

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お昼御飯に名物「輪箱(わっぱ)飯」を頂き、


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老舗のお菓子屋さんでお土産を買って


家路につきました。

気候が温暖な八郷に比べると、長く雪に閉ざされる東北の村落は趣が異なり、長い歴史の中で文化や人の心にも大きな影響を与えたことと思います。

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