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11月18日(日) Kathmandu [山登り]

現地旅行社の社長ニルマニさんは生粋のKathmanduっ子。Kathmanduでお土産を買うなら、ホテルやオフィスが立ち並ぶThamel地区よりも、Kathmandu市民が買い物に来るAsan ChawkやIndra Chawkが安いと教えてくれた。

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朝の町に出た。果物を売る自転車。今はザクロが旬だ。

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トマトは小ぶりだが味が濃くて美味しい。


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町はTiharでお正月気分だ。


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広場の近くでは、カシミヤやパシミナ、ヤクの毛糸等を使ったショールを売っていた。ヤクのショールを探しているのだとお兄さんに言うと、裏に色々あるからとビルの中に案内してくれた。

「ヤク100%と商札に書いてあっても、色が派手なのは本物じゃないよ。アクリルと木綿の混紡で、ヤクの毛は0%、今は白毛のヤクは少ないので色は茶系統が主体だし、ヤクの毛は硬いから編んですぐは少しゴワゴワしているけれど、使っていると段々さわり心地が良くなって来るのさ。」

と教えてくれた。実際に触って比べてみると、ヤク0%と100%の違いが良く分かる。留まるところを知らない陽気な話を聞いていて飽きないが、他にも見たい所があるのでお土産のショールを買って退散した。

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この界隈は金物屋さんも多い。ブリキ板が見る間に立体的になる。しばし見とれてしまった。

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こちらはお供え物を入れるお皿やベルなど宗教儀式に使われる銅や青銅の道具を取り扱うお店。


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仲間のYさんは、Roksi(ミレットから作る蒸留酒)作りの蒸留釜の物色に余念がない。


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こちらはお茶のお店。ネパールのIlam地区はあまり知られていないが、インドのDarjilingと国境を挟んで西東、気候も土壌も同じである。Darjilingは名が通っているだけあって値段も張るが、お茶の葉に国境はないので、ILAM茶を買うことにした。昔、日本でもお茶を買う時は茶櫃から量り売りで買ったが、ネパールではまだそのような売り方をしている。缶の蓋を開けてもらって匂いを嗅ぐと、ぷーんと良い香りがした。First Flush(一 番摘み)だ。

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スパイスは安くて種類も豊富だ。一日二回はDhal Batを食べるネパールの人たちにとってスパイスは必需品。お店によってオリジナルのブレンドもある。Dhalスープを作りたいと言うと、スパイスを選んでくれた。

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町の広場には所狭しとばかりに野菜が並ぶ。この地区はKathmanduの台所でもある。

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Annapurna寺院の前は人で溢れ、クラクションをけたたましく鳴らしながらバイクがその合間を縫って行く。

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人、バイク、輪タク、車、そして時に牛、この喧騒は夜まで続く。2700万人の人口のうち、その約一割がKathmanduに住む。活気溢れる町を歩きながら、この混沌の中から生まれるであろう何かを、短期間で見出すのは難しいと思った。

【後記】

エベレスト街道を約150km、色々な人に会い、色々な風景を見ることが出来ました。二年前にアンナプルナ周回トレッキングに行った時とはまた少し印象が変わりました。二回目で多少余裕が出来たせいかもしれません。

吸いこまれそうに青い空と、その空を半分隠してしまいそうな程天を衝かんばかりの山々、風景の壮大さは世界の屋根と言われるヒマラヤならではと感動します。

そこに住む人たちの生活は、私たちの日常とかけ離れたものでした。全ての生活物資を家畜や人が運び、薪とする樹木さえ無く、天日干しした家畜の糞で、厨房を賄い日没からの僅かな時の暖をとり、限られた食物を一年中繰り返し採る生活、そんな中でも、人々は明るく、信仰に厚く、動物たちさえ温和に暮らしています。振り返って、24時間営業のコンビニ、深夜まで煌々と照らす広告塔を灯しながら電力不足の危機を声高に叫び、食料の何割かがゴミになる程物が溢れていながら、些細なことで人を傷つけたり、自暴自棄になる人がいる社会。瑣末な何かが余分で、大切な何かが不足していると感じます。

私自身は色々な意味でもう少し努力しようと思います。

11月17日(土) Bhaktapur [山登り]

Kathmanduに戻って二日目、旧都Bhaktapurへ出かけた。BhaktapurはKathmandunの東約14kmにある。ネパールを統一したヤクシャ・マッラ王の死後、その息子たちがKathmandu、Patan、Bhaktapurを分割統治した。Bhaktapurはその中でも古の面影を最も強く残す町である。また、世界遺産となった今も、一般の人がその中で通常の生活を営んでいる。

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町に入るとあちらこちらで、収穫したお米のモミを選別しているのが見えた。シートの上にお米を広げ、一人が掬いあげたお米を放り投げると、他の人たちが笊の様なもので風を送る。実の入った重たいモミは近くに落ち、痩せたモミやモミ殻は遠くへ飛ばされる。昔、日本の農家でも使っていたトーミの手作業版だ。

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Dubar広場に面するヒンドゥーの像には、お参りの人が引きも切らない。


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寺院の回廊は子供たちの格好の遊び場、ケンケンで競争するのは日本の子供と同じだ。


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今は国立美術館となっている建物。テラコッタと木彫が見事だ。

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石塔に登ってみると、近くに五重の塔が見えた。


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Taumadhi広場に面したNyatapola寺院だ。


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Bhaktapurの町中にはいくつも地下の貯水槽があって今も使われている。水汲みは女性の仕事らしく、大きな甕を力強く運んで行く。

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広場の土産物屋には、面白そうなお面が並んでいた。


Bhaktapur は陶芸の町でもある。ちょっと裏道に入ると、丁度日常使いの大きな器を作っている所だった。

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中央に粘土を乗せた木製の大きな円盤を棒で勢いよく回し

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       粘土に取り付くと

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素早く形を整え


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                                見る間に形が整い

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最後は糸で取りだした。見事な手さばきに思わず拍手をすると、町の匠ははにかんだような笑顔を見せた。

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Dattatraya広場にあるBhimsen寺院はBhaktapurでも一番古い建物のひとつ。

午後はKathmanduに戻り、現地旅行社の社長さんの家に招待して頂き、手作りのDhal bat の美味しさに舌鼓をうった。

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食後に頂いたズーズーダゥ(Juju Dhau) は、素焼きの器を逆さまにしても落ちてくることが無いほどに濃厚で、クリーミーな味わいはまさに「ヨーグルトの王様」と呼ばれるに相応しい。

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市場ではこんな形で売られているが、賞味期間が2日程度なので、現地で味わうしかないのが残念だ。

11月15日(木) MonjoからLukla (2840m)へ [山登り]

ロッジの朝は寒い。唯一ストーブのある食堂に行くと、先客がいた。

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この子たちは暖かい所を良く知っている。


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Monjoを出てしばらくすると、トレイルの脇の大きな岩の中に祠らしきものがあった。沖縄の御嶽(ウタキ)に良く似ている。

今日はTiharの最終日。

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家々は戸口を花で飾り、

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飾り布も新しくした。


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民族衣装に気飾って踊る若者もいれば

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村々の広場に集まって、通りすがる人に心付けを募る若者もいる。


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私が少しばかりの心付けをお皿に乗せると、皆が拍手をしながら花を髪にかざしてくれ、歓声を上げた。これから先Luklaまで、何回かこのような若者たちの関所を通ることになる。

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昼食をとっていると、外で歓声が聞こえ、その声の中を走り抜ける者がいた。Jiri(2100m)からEverest Base Camp(5340m)まで6日間を掛けたマラソンの参加者だ。

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そういえば来る時には無かったが、トレイルの道端の石などにペンキでマークが付けられている。しかし、歩いてさえ高山病対策に苦労するというのに、標高差3200mを駆け上る彼らの身体はどうなっているのかと思う。

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Luklaに着くと、街角のあちらこちらに、お香の匂いが漂っていた。

11月14日(水) NamchebazarからMonjo (2835m)へ Tiharのお祭り [山登り]

昨日からヒンズー教の大祭のひとつであるTihar(光の祭り)が始まった。午前中Namchebazarでのんびりした。

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今日は市は立たず、広場にも人影が無い。のんびりと草を食むヤクの向こうに、先日の降雪で一段と白くなったKhondeの山並みが見えた。

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町中を散歩する。何でも屋さんの店先で見かけた少年。凛々しく立った後ろ姿は、もう一丁前の若者だ。

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君たちは何をみているのかなぁ


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昼前、Monjoに向けて出発した。祭りの期間は人々が集まるので、荷運びがいつにも増して、次から次へとひっきりなしに通る。

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昼はJorsaleのロッジでとった。久しぶりに本格的なDhal Batはとても美味しかった。


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Monjoに近付くと、道の真ん中に子供たちが集まっていた。Tiharの間子供たちは歌や踊りを披露し、寄付を募ることを許される。ハロウインのようなものだ。

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夜の8時過ぎ、ロッジの中庭に若者たちが集まり、歌と踊りが始まった。お布施を貰った青年たちは、これから何処へ行くのだろう。

11月13日(火) PangbocheからNamchebazar (3440m)へ [山登り]

昨日の雪で

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Pangbocheの畑は白く薄化粧をし、

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トレイルも雪に覆われた。


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出発して間もなくトレイル脇の崖下に地元でThar (Mountain God) と呼ばれているシカの一種を見つけた。

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10時過ぎにTengbocheに着く。未だ標高は富士山より高いが、5500m付近から下ってのどかな風景を見ていると、まるで平地に居るような錯覚にとらわれる。

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Phungi Thangaのつり橋を渡れば、Namchebazarへの道は半ば過ぎる。

Kyangjumaで昼食をとっている時に日本から来た二人の青年に会った。KathmanduからLuklaへの機内で知り合い、意気投合してそれから行動を共にしているそうだ。ガイドもポーターも雇わず、全て自力である。手を振って明るく分かれたその後ろ姿に逞しさを感じた。

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午後4時前、Namchebazarのロッジに着いた。久しぶりに飲むカプチーノが美味しい。

夕食まで食堂でくつろいだ。登りと下りが行き交うEverest街道。帰路組は余裕で真新しい経験を語り、登り組はこれから先の長丁場にいささかの不安を交えながら、まだ見ぬヒマラヤに期待を弾ませる。

11月12日(月) LobcheからPangboche (3930m)へ [山登り]

4900mまで下っても暖房の無いロッジの部屋は相変わらず寒く、室内の温度は零下7度、

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窓は凍りつき、ベッドの横に置いたポカリスェットがボトルごと凍っていたが、二度のKara-Patthar登坂で少し高所順応が進んだのか、就寝時の酸欠の息苦しさからは少し解放された。

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陽が昇った後もトレイル脇の川は凍ったままだ。

Khumbu氷河がChola川の源流となって融け始める高台の上に、Everestで命を落としたクライマーたちの墓地がある。

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2012年5月19日、今年の春・・・34歳の女性のものだった。

  In loving memory of ・・・ Lost her life on the way from the summit of Mt. Everest 

登頂を果たした後帰らぬ人となった。同じような墓標が累々と続く。書かれた文字をひとつひとつ丁寧に読んでいると、胸に熱いものがこみ上げて来る。

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Scott Fisherの墓標が目にとまった。私は仲間に先に行ってもらって、しばらく丘に点在する墓石の間を巡ってRob Hallの墓標を探した。

1996年5月10日、Scott Fisher とRob Hallが率いる二つの商業登山隊がEverestの登頂を目指し、彼らを含めて一夜に6人が無くなった。この遭難事故については後に生存者の幾人かが回想録を出版した(*)。予想を越える急激な天候の悪化が直接的な原因のひとつであることは間違いないが、高所登山の未経験者を極限のデス・ゾーンに案内する商業登山のあり方や、技量の異なる多くの登山隊が一気に登頂を目指したために頂上直下で徒に時間が消費されたことなど、多くの問題点が浮き彫りにされた。

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丘の周りをしばらく探し回ったが、Rob Hallのものは見当たらなかった。通りかかる何人かのガイドにも尋ねてみたが、知らないと言う。私はふと彼が故郷の墓地に眠っているのかもしれないと思った。Everestに思いを馳せるクライマーと家族の思いとは、必ずしも同じではないのかも知れないから。

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丘の反対側にシェルパ族の人たちの墓があった。ベースキャンプへの荷運び、キャンプI、II、III、IVへのサポートなどで活躍する多くのシェルパの中で、登頂を許されるのはごく一握りに過ぎない。また、火葬を原則とするシェルパ族は、薪が手に入るPangbocheまで下って荼毘に付される。ここに灰を持って来て埋葬されるのはその一部だ。にも関わらず、墓石の数は多い。

乾いた風が吹き抜けて行くこの丘から、Everestの姿は見えない。

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Dusoの丘の近くまで来ると、ナック(メスのヤク)の群れに会った。ナックは年に1回1匹の子を産み4ヶ月間授乳する。ヤクが荷役で働く間、ナックは子育てに専念する。この間は搾乳できない。

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Pangbocheの手前で学校帰りの子供たちにあった。ここから30分ほど山に上がった所に学校があるという。

   「英語はわかる?」

      「うん」

   「何年生?」

      「三年」

   「弟と一緒に学校に行ってるの? 偉いね」

      「妹だよ」

少年は少しはにかんで答えてくれた。

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Pangbocheのロッジに着く頃から、ついに雪が降り出した。突然の雪にロッジはトレッカーでひしめく。



【参考】

   “Into Thin Air” Jon Krakauer
   “The Climb” Anatoli Boukreev
   “A Day to Die for” Graham Ratcliffe

11月11日(日) Garak-ShepからKara-Patthar(5550m)登山 [山登り]

今日はKara-Patthar登山の予定日、一昨日私は既に登っていたが、皆で最高所での記念写真を撮ることになり、午前中のEveretを見たいこともあって、この日も再びKara-Pattharに登ることになった。2回目のことで無理なく登れるが、強風に悩まされた 。

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Everest の南稜に激しく雪煙が上がり

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Kara-Patthar 山頂のフラッグもちぎれんばかりに激しい音を立てていた。11月も下旬になり気温も氷点下、強風が吹きすさべば、体感温度は更に低い。

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この日はLobche まで下った。途中Khumbu 渓谷で行き交うトレッカーも、強風と寒さに口数が少ない。

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Samdenさんのロッジに戻ると、夕陽にNuptseが輝いていた。


日本からのトレッキングの一行と食堂で会った。英国式にヤクに鍋釜を積み、料理人付きの一行は、お粥や暖かいそうめん、おでん、豆腐、ナマスなどを食卓に並べ、ロッジの現地食は食べない。折角異郷に来たのだから、現地の食事も文化のひとつとして受入れるのが自然に感じられるが、身体が資本の高山では食事は体調管理の基本であり、人それぞれのスタイルがあっても良い。

11月10日(土) Gorak-ShepからEverest Base Camp (5364m)へ [山登り]

これだけ多くのトレッカーが自然環境の厳しいヒマラヤに入ると、体調を崩すものも少なくない。その多くは高所順応に失敗した人たちで、救急ヘリが頻繁にトレックングルートの上を飛び交う。ヘリが発着できる場所まで朦朧とした状態でシェルパに支えられながら、馬で運ばれる人もいる。

そんな中でマラソンをやろうという命知らずもいるらしい。Tenzing-Hillary Everest Marathonだ。Everest Base Camp (5364m) からNamchebazar (3440m) までの42.195kmを走破する。

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朝食前食堂の壁を見ていると、一枚の賞状があった。受賞者はシェルパ族のお兄さんだが、所要時間の7時間26分25秒はともかく、生きてゴールするだけでも超人的だ。
 
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山の端に太陽がかかる頃ベースキャンプに向かって出発した。

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急峻な山から風化で崩落した岩が、Khumbu氷河の上に厚く堆積している。

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地表は砂礫に覆われているが、所々大きく開いた氷の割れ目や氷柱から、ここが氷河の上であることが分かる。

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時折、落石が凍った氷河湖面に落ちて乾いた音を立てるかと思えば、大きく崩落した氷河が、白煙を残して轟音を上げる。

世界最高峰であるエベレストは、皮肉なことにBase campに近付くにつれて、周りを取り囲む山々に阻まれて見えない。

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昼過ぎベースキャンプ (5340m) に着いた。毎年春の登坂シーズンには、数百のテントが幕営されるが、今はその跡かたもなくひっそりと静まり返っている。

ベースキャンプに着いてひとつの達成感を感じるトレッカーと、

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ヤスリの山のような氷を縫い、

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屏風のように切り立ったローラフェースとヌプツェフェースに挟まれたV字谷に潜む無数のクレバスの前に立ってこれからの登坂に奮い立つクライマー。やはりクライマーは尋常な精神力・体力の持ち主ではないと痛感する。

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夕食後食堂に居ると、ロシア人のトレッカがギターを取り出し民謡を歌い始めた。通常はたとえ100gでも軽くしたい荷物であるが、何とギターを担いで上がって来た。彼のギターを借りてブラジルの民謡を弾いた。彼も私も「世界最高」のギタリストとはいかないが、これより先に人家はないのだから、「世界最高」のギタリストの一人であることに間違いはない。

11月9日(金) LobcheからGorak-Shep (5140m)へ [山登り]

LobcheからKhumb氷河に沿って北へ進む。

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トレイルは殆ど岩と氷になった。ゾッキョが荷を運ぶ。

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Gorak-ShepはPumo-Riの裾に、トレッカーのための宿が数軒あるだけの小さな町。これより北に人家は無く、エベレスト街道の最奥地だ。Kara-Pattharに初登頂したのはインド人で、黒い岩と名付けた。その名の通り、茶色や灰色の岩石が多い中で、この山だけは黒い岩に覆われ、遠くから見てもひと目でそれと分かる。

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町の入口で遊びに興じる人たちの周りに鶏の様なものが群がっていた。人になついているので家禽かと思ったが、Mountain cockと呼ばれる野生の鳥だ。神聖な鳥とされ、人々は決して食用に供しない。

ロッジに到着後、サブガイドのBino君と二人でKara-Patar (5550m) に登ることにした。元々明後日の早朝に登る予定になっているのだが、昨日Lobcheのロッジで写真家の遠藤さんから、Everestの真西に位置するKara-PatarからのEverestの展望は、太陽が雪面を照らす午後から夕方にかけてが美しいと聞いたからだ。ついでに高所順応も兼ねることが出来る。

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高度を増すにつれ、Everest はその肩と言われるLho la とLotseの間からその大きな山塊をあらわにした。デス・ゾーンに雪煙がなびく。

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2時間ほどでKara-Pattharの山頂 (5550m) に着いた。まるでそのままPumo-Ri (7165m) に続いているかのようだが、もちろん谷が深く氷河に切れ込んでいる。

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この高さから見ると、Everestを源とするKhumbu氷河が、Lingtrenの麓で大きくL字型に進路を変えているのが分かる。そこがBase Campの場所である。

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山頂の西側にはいくつかの氷河湖が見えた。

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しばらくするとKhumb渓谷に雲が湧き始めた。日暮れ前に宿に帰った方が良い。1時間弱で麓のGorak-Shepに戻った。

Gorak-Shepの標高は5140m、さすがにこの高度だと空気が希薄で息苦しく、夜中に何回か目が覚めた。

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寝袋から出てダウンジャケットとズボンを着直し、凍てつく廊下を歩いてトイレに行くのは気が重いが、張り紙に思わず笑ってしまった・・・「内緒にしといてくれる」そうです。


11月8日(木) ThoklaからLobche (4910m)へ [山登り]

今日の行程は約3時間半、朝はゆっくり8時過ぎに出かけた。

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登りの標高差は300m程で緩やかだが、所々に岩場があって意外に歩きづらい。

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ヤクも凍てついた川面に逡巡している。

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騎士の兜のような Pumo-Ri (7165m) が見えればRobcheも近い。

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岩峰のRobche west (6090m) の裾野にある村Lobcheは、Everest Base Camp Trek、Cho La Pass Trek、Kongma La Trekなど、いくつかのトレイルが交差する交通の要所で人の往来も多い。

早めにロッジに着いた私は食堂で時間を潰していた。ロッジオーナーのSamdenさんは、女手ひとつでストーブの焚きつけ、食事の用意、トレッカーの部屋割の手配、行商人との値段交渉と休む暇なく駆け回っていた。

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ひと通り片付けると、彼女は棚から白と茶色のヤクの毛糸の玉を取り出し、無造作に脚元のバケツに放り込むと帽子を編み始めた。

壁に貼ってある写真の話などを聞いていると、思わぬことを語り出した。

ベースキャンプからC1キャンプの間はアイスフォール(氷河の滝)が続く。太陽が昇って温度が上昇すると、氷塊が緩み崩落の危険が増す。1970年三浦雄一郎がEverestのサウスコルからKhumbu氷河をスキーで滑降した。華々しい報道や映像の陰で、それを支援した多くのシェルパが氷塊の崩落で亡くなったことはあまり知られていない。Samdenさんのお爺さんMinmandorさんも犠牲者のひとりであった。

   「私の父は祖父が亡くなった時、まだ10歳だったんです」

Samdenさんはそう語る間も編み棒の動きを休めない。

人間業とは思われない滑空に世界中が驚かされたが、神が宿る神聖な山として入山時に祈りを捧げるエベレストを敢えて力でねじ伏せるような行為が、シェルパ族の人たちの心にどのような思いを起こさせたのかは知る由もない。

11月7日(水) DingbocheからThokla (4620m)へ [山登り]

翌朝、ロッジの親爺さんが、若者にヤクの荷づくりの仕方を教えていた。

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昨晩食堂では奥さんの働きばかりが目について、のら~りくらりとした親爺さんだなぁなどと思っていたが、どうしてどうして外の仕事となると途端に凛々しくなる。

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Dingbocheからしばらく登り返し、Dudh Koshiの川沿いを進む。Tabche(6495m)、Cholatse(6335m)の鋭い切っ先が天を突く。

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岩峰から風化で崩壊した岩はやがて微粒になり、風に舞い上がる。希薄な空気に喘ぐトレッカーは、零度近い寒気と砂粒を吸いこんで、一様にKhumb cough(クンブ氷河の咳)と呼ばれる特有の咳をする。マスクをすれば良いのだが、空気が希薄で息苦しいのでつい外してしまう。

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このトレイルにはThoklaまで村が無い。ポーターたちは石垣の上に荷を置いてしばし休む。

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Awi Peakの麓、Khumbu氷河の出口に、今日の宿Thoklaが見えた。

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Khumb氷河はここで川となって、ネパールの大地を南下する。

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貴重なプロパンガスを節約するため、ここでは太陽熱湯沸かし器が使われていた。いくら日差しがあるとはいえ、半ズボンとは恐れ入った。

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宿に着いたのが早かったので、厨房を使わせてもらって、仲間からのリクエストで「卵とじラーメン」を作った。もちろんお礼として、先ず何人かの厨房のスタッフに食べてもらったのは言うまでもない。

11月6日(火) Chhukhung-Ri (5404m)へ登る [山登り]

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Lotseの雪煙は日増しに激しさを増し、


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吹きすさぶ冷風に川も凍てついた。


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Ama Dablamを背にChhukhung-Riを目指す。高度が5000mを越すと一足一足が重たくなる。

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30分毎に休憩をして急斜面のガレ場を登ること約3時間、ようやくChhuukhung-Riの相似峰のひとつ(5404m)に着いた。

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LotseとNuptseが屏風のように立ちはだかる。


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ここから先はトレイルもなく、クライマーの世界に入る。

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昼前にChuukunのロッジに戻って昼食をとった。賄いをしてくれたシェルパ族のお譲さんたち。こんな山奥にいても、楽しげで明るい。

今日は一旦Dingbocheまで下り、明日進路を北西にとってChola Khola(チョラ川)を遡る。

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夕食後、ストーブの周りには、しばしの暖を取る人たちが集まる。薪が全くとれない高山では、土嚢一杯程に詰めたヤクの糞の天日干しが、一日に許される唯一の燃料だ。

11月5日(月) DingbocheからChhukhung (4730m)へ [山登り]

高度が増すにつれて日照前の気温が零下に近付き、日差しでかろうじて暖を取るが、屏風のような高山に囲まれたトレイルの日の出は遅い。

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Tabuche (6495m) の肩に浮かぶ月。


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標高4000m近くなると荷役の主体はヤクだが、それでも時として凍てついた河原で足を取られて立ち往生するものもある。

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Lotseに上がる雪煙は昨日より激しさを増した。


午後早くにChhukunに着いた。標高4730m。高度順応のため、更に1時間ほど高度を稼いでからロッジに戻った。

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Imja KholaからIsland peakに吹き上げる身を切るように冷たい風の中を、ウミネコの様な啼き声をあげてGyakが飛び交う。

11月4日(日) TengbocheからDingboche (4410m)へ [山登り]

朝6時、目が覚めるとAma Dablam と Lotse が朝日に輝き、

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薄暗がりの中で馬が静かに残り少なくなった草を食んでいた。

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朝食はシェルパシチュー、身体が暖まる。

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動物たちもどこかのんびりしている。

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きつい登りで高度を稼ぎ、4000mもすぐ近い。

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卒塔婆を越せば

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Ama Dablumベースキャンプの町Pangbocheに入る。


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夏の間野山に放たれたヤクたちは、冬の間この囲いの中でのんびり過ごす。

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Somareでは新しい家を作っていた。石材は近隣の山から切り出し、現場施工で見事に石組を仕上げて行く。ナマステと声をかけると、皆さん明るく応えてくれた。

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Imja Kholeの先に聳えるNptseとLotse、山頂付近から雪煙が立ち上る。きっとあそこは何物も寄せ付けないブリザードだろう。

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Dingboche近辺の河原だけに育つSeabuckthornがオレンジ色の実をつけている。口に含むとザクロの様な味がした。

我々はChhukunで二度目の高所順応を行うため、ここでEverest Base Campへの要路から北東に外れてDingboche (4410m)に向かう。

11月3日(土)  NamchebazarからTengboche (3860m)へ [山登り]

朝8時、NamchebazarのYAK Lodgeを出発した。昨日行ったKhumjungへの道を迂回するように山裾を進む。

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日が高くなるにつれて気温も上がる。日中と夜の気温差は20℃近くもあり、ネパールの一日にはまるで四季があるようだ。

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Tenzing Norgyeを記念する卒塔婆を過ぎると

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Ama Dablam (6814m)がその全貌をあらわにした。渓谷はいよいよ深く、道は高みに登る。

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これまでゾッキョや馬が主体であった荷役にヤクが加わる。ヤクは3500m以上の高地でないと生息できない。

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10時過ぎにKyangjumaのロッジで休憩する。

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クッキーを買おうとベーカリーに入ると、店番は可愛い女の子だった。こちらの子供たちは幼い頃から良く親の手伝いをする。テラスでDudh Che(ネパールのミルクティー)と共に頂く。

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トレイル中、至る所で石に刻んだスートラを目にする。

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途中で休憩中のポーターのRai君たちに出くわした。ポーターとトレッカーはペース配分が違う。重い荷物を背負う彼らは一定距離ごとに休みが必要であるためにロッジを先に出たり、我々が食事やお茶をしている間にも歩くので、通常トレッカーとポーターとは殆ど道中を共にすることは無い。一度荷を下ろすと担ぎあげるのが大変なので、休む時は籠の下にT字型の木を添えて立ったまま休憩する。私もダッフルバッグ2個を担いでみた。平地なら何とか背負って歩くことはできるものの、これで急坂の上り下りは到底できそうにない。彼らの体力には脱帽する。

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Phungi Thangaのつり橋を渡るとTengbocheへの最後の登りに入る。

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坂道の途中で天秤棒に山ほどの食器をぶら下げた行商人に出会った。インドから来た行商人だ。ネパール人は鉢巻のように荷帯を額で支えるが、インド人は竹で作った天秤棒に荷をぶら下げるのですぐに分かる。おまけに脚元はスリッパだ。これでつづら折りの山道を上り下りするのは大変そうだが、ふら~り、ふら~りと荷が揺れながらも上手にバランスを取って運んで行く。

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TengbocheのGompa(寺院)に着いた頃から山に雲が湧き始めた。日照で山の気温が上がる午後には谷風が吹き始める。

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聖なる山を守る夕方の寺院はひっそりと静まり返っていた。

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夕食まで時間があったのでロッジの周りを散策していると、若者たちがサッカーに興じていた。標高は4000m近いが、強靭な心肺機能を持った彼らは歓声をあげながら元気に走り回っていた。私も軽くジョギングをしてみたが、すぐに息が切れてしまった。

11月2日(金) Namchebazarで高所順応 [山登り]

Namchebazarに着いた翌日は、高所順応のために一日かけて近くの山を巡った。Namchebazarは富士山頂より少し低い高さだが、それでもこれから4000m、5000mと高度をあげて行く時に高山病にならないよう、少しずつ高度順応をしておくことが大切だ。実際これから先の道中で、少なからぬ数のトレッカーが高度順応に失敗して、ヘリや馬で運ばれたり 下山を余儀なくされているのを目の当たりにした。5000m以下であれば致命傷になることもないが、それでも頭痛や吐き気、下痢などに悩まされてはトレッキングを続けることはできない。 

Namchebazarの魅力のひとつは、何と言ってもその壮大な景観であろう。西にBhote Kosi(ボーテ川)の渓谷を挟んでKongde-Ri (6187m)、東にはDudh Kosi(ドゥドゥ川)の渓谷を挟んでThamserku (6618m) とKantega (6783m) の雄姿、更に町の北に位置するKhumjungの高台に登れば、Everest(8848m)、Lotse(8516m)、Nuptse (7864m)など、チベット国境に聳える世界最高峰の山々を一望にすることが出来る。ヘリポートもあるので、Luklaからヘリで飛来し、景観を満喫して再び空路でKathmanduに戻るという豪華なツアーも行われている。

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我々は朝8時にロッジを出発し、Khumjungに向かった。急な石段を登る度に鈍い鉈のような稜線を空に振りかざすKongdeとKongde-Riが目の前にせり上がって来る。

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Dudhの谷から爆音を伴って頻繁にヘリが飛来する。

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Chhorkungの丘を登るにつれて、天を貫くかのようなAma Dablam (6814m) の尖峰や、まるで天空に至る道のように続くトレイルの先には、Everest、Lotse、Nuptseの姿があった。あそこがチベットとの国境に聳える世界の屋根だ。

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丘を登り切った所にEverest View Hotelがあった。ここは他のロッジとは全く異なる豪華ホテルだが、多くのトレッカーはテラスでお茶を飲んで記念撮影をしてここを辞す。

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我々もここでしばし休憩した後、北にあるシェルパ族の村Khumjungに下った。周りを高い山々に囲まれたこの村は、富士山頂とほぼ同じ高さに広がる。

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村にはチベット仏教の寺院(Gompa)があった。

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国境を挟んだヒマラヤの北側にもチベット族が住んでいるが、何人も登ることを禁じられた聖なる山の麓に抱かれた村で仏教を信奉し、山を畏敬し、つつましく生活する少数民族の文化や価値観は、北京よりもむしろシェルパ族に相通じるものがあると言えるだろう。

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しばらく行くと広場の向こうに学校があった。1953年にSir Edmund Hillaryと共に初めてEverestの登頂に成功したTenzing Norgayはこの村の出身で、その所縁でニュージーランドなどから教育基金の提供があり、多くのシェルパ族が人材教育を受けてここを巣立っている。

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石垣に囲まれた畑に、いくつかの土饅頭があった。過酷な環境のこの土地で取れる数少ない作物であるジャガイモは収穫後土に埋められ、来年の春まで保存される。

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Namchebazarを見下ろす丘の上に帰って来ると、急斜面にある町の広場に人だかりが見えた。毎週金曜と土曜は近隣の村人たちが集まって市が開かれる。早速行ってみることにした。

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市場は食料品や日用雑貨を求める人たちで満ち溢れていた。

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今宵もThamserkuが美しい。存在感のある山だ。

11月1日(木) Phakding (2610m)からNamchebazar (3440m)へ [山登り]

山の朝は早い。というよりも、部屋に暖房のないロッジでは、夕食を済ませた7時頃にはシュラフ(寝袋)に入るしかないので、疲れもあって眠ってしまい、明け方4時頃には自然に目が覚めてしまう。

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空が白んだ6時過ぎにロッジの庭に出て顔を洗う。

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トレッキングの道は山間の村を結ぶ生活道路でもあるが、トレッカー以外で行き交う人々の多くは 資材、食料など生活物資の運搬に携わっている。100kgを越そうかという荷物を担いでの急峻な山道の上り下りは、我々の想像をはるかに超えた過酷な労働だが、人々は時にラジオの音楽を聴きながら黙々と働き続ける。

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我々のガイドをしてくれたDorji君(左)とアシスタントのBino君。二人ともネパール最大の種族であるMagar族で、Lukula近くのKhari-Khola村に住んでいる。エベレスト登山隊にも参加したDorji君は、我々を出迎えるために110kmの山道を2日で踏破し、Giriからバスで6時間かけてKathmanduにやって来た健脚だ。

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昼食はMonjo村のEverest Summit Lodgeで軽い麺をとった。山に入ると朝はチャパティ(インドのナンのようなもの)かシェルパシチュー(前の晩の残りの具材をシチューに入れたもの)、昼は麺や焼きそば、夕食は焼き飯など簡素なものとなる。

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Monjoを出てすぐ、経文の書かれた絶壁の一枚岩の中腹に蜂の巣を見つけた。

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採取の難しさもあって、この貴重な自然の蜂蜜を我々旅行者が手に入れることは殆ど不可能だ。

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Jorsaleのつり橋を渡り、

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氷河の水を集めたImja Khora(イムジャ河)沿いの道を進み、

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Larja Dobhanで再びつり橋を渡り返して標高差600mを一気に登り切るとNamchebazarはもう近い。

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今日の宿Yak Hotelに着き、部屋の窓から次第に暮れ行く町を眺めていると、Imuja渓谷を挟んだ東に、Thamserku (6618m)とKusum Khangkaru (6376m) の山並みが夕陽に輝いていた。

LuklaからPhakdingへ [山登り]

10月の末からネパールのエベレスト・トレッキングに出かけました。エベレスト街道の玄関口Luklaを起点に、ベースキャンプまでの往復約150kmを約3週間かけて踏破しました。この時期ネパールは雨期が終わって気候が安定し、寒さは時に零下十度を下回る程厳しいものの、素晴らしい山々の展望を楽しむことが出来ました。トレッキング道中の景観や、その土地の生活などを紹介したいと思います。

10月31日(水) LuklaからPhakdingへ

首都Kathmanduから国内便でLukulaに飛んだ。Luklaはエベレスト街道への空の玄関口である。

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膝を突き合わせるほどの小型飛行機は、せり上がる山々に腹をこすらんばかりにぎりぎりの高度を保ち、

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衝立のような山の中腹にある猫の額ほどの短い滑走路に着陸した。着陸は急な登りのスロープでかろうじて機体を停止し、離陸はまるでパラグライダーが谷間に落ち込むようである。その地形の難しさと気象の変化の激しさから、これまで幾度となく墜落事故を起こしているが、陸路を取るとなるとKathmanduからJiliまでバスに揺られること6時間、そこから視界の開けない起伏の激しい山道を4,5日かけて越えなければならないこともあって、トレッカーは空路を選ばざるを得ない。

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空港近くのロッジでお茶を飲んだ後、いよいよトレッキングを開始する。チェックポイントで少年が我々のIDを確認をする。

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街道沿いの村々には、マニ車やスートラの石板など、チベット仏教の影響が色濃い。

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ゾッキョ(スイギュウと牛の交配種)やロバが歩くたびに鳴らされる鈴の音、100kg近くある重荷を黙々と運ぶポーターたち、石畳の道、家畜の糞の匂い・・・2年前の記憶が蘇り、懐かしさがこみ上げて来る。

Liklaから今日の宿泊地であるPhakdingまでは標高差200m程の緩やかな下りだが、飛行機でいきなり2700mに降り立った身体は高度に順応しておらず、少しの登りに息が切れる。

午後3時前、Phakdingの宿に荷物を下ろし、近くのSherpa Farmまで散策に出かけた。高度に慣れるには歩くのが一番だ。

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秋の夕日はつるべ落としで、太陽が山の向こうに姿を消すと、気温が急激に下がった。

山登り [山登り]

ここ数日の冷え込みで、

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庭の沙羅の木が色付き始めました。
今日から山登りに出かけます。

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むこうは氷点下だそうなので、何だか服ばかりが目立ちます。

北アルプス-その(3) 高嶺に咲く花々 [山登り]

山登りの楽しみと言えば、どこまでも広がる山並みと空や雲の織りなす雄大な景観があげられますが、そこかしこに可憐な花を咲かせる高山植物も、山歩きの楽しみを増やしてくれます。今回の北アルプス登山でも、たくさんの高山植物を見ることができました。

折立-太郎平-薬師岳-黒部五郎岳-鷲羽岳-三俣蓮華岳-双六岳-新穂高温泉と北アルプス中央を北から南に歩いた順に見かけた花を追ってみましょう。

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サワラン
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イワショウブ

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チングルマ(綿毛)

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ハクサンフウロ
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チングルマ(花)

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タカネニガナ

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ミヤマリンドウ
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イワオトギリ

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オオヤマリンドウ

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シラネニンジン
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ウサギギク

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トウヤクリンドウ

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ヨツバシオガマ
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イワイチョウ

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コイワカガミ

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コウメバチソウ
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ミヤマアケボノソウ

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コケモモ

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コガネギク
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タテヤマリンドウ

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イワギキョウ

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トリカブト
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ハクサンイチゲ

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オニシモツケ

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アザミ
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ミヤマシャジン

これ以外にも名前のちょっとわからない花がいくつかありました。

高山の自然は過酷です。ごく浅い土壌、少ない栄養、積雪、強風・・・少し天気が荒れると人が立ち入ることを許しません。そんな中でしっかりと花を咲かせる植物たちは、小さな姿にも関わらず逞しく生きていると感じます。
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