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フランク・ロイド・ライト~自由学園「明日館」 [建築]

先日NHK・BSプレミアムの『クラシック倶楽部』で、フランチェスコ・トリスターノのピアノ演奏を聴きました。彼の弾くバッハのパルティータもさることながら、収録会場の雰囲気が非常に良かったので、どこかと思って見ていると、最後に「収録:自由学園明日館」と出てきました。

自由学園明日(みょうにち)館は羽仁良一・もと子夫妻が、1921年に女学校としてフラン・クロイ・ドライトに設計を依頼した建物で、都内にあったにもかかわらず、奇跡的に先の大戦の戦火を免れました。梅雨の晴れ間の今日、東京に出かける用事があったので、この建物を見学することにしました。

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池袋のメトロポリタン口から人家の建て込む裏道を歩いて5分ほど、プレーリースタイルと言われる低層の木造建築が目に入りました。

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大谷石に木漏れ日が影を落とすアプローチを通って、

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板張りの小さな教室に入りました。


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砂漆喰の壁と廊下を少しだけ垣間見る窓、壁を走るシンプルな幾何学模様が空間にアクセントをつけています。

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ここは廊下につながるエントランス。洒落たデザインの扉ばかりでなく、それとなく壁に設けられた腰かけが実用性への気配りを感じさせます。

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更に進んで茶室のにじり口のように天井の低い空間を抜けると、突然天井が高く突き抜けたホールに出ました。訪れる人を驚かせる演出です。

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天井まで達する南面の窓からは、明るい陽光が部屋いっぱいに差し込みます。

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壁一面を覆うフレスコ画は、創立10周年を記念して「出エジプト記」の一部を学生が描いたもの。


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数段の階段で微妙に床の高さを変えた食堂に入ると、巧みに取り込まれた外光に、幾何学的な模様が鮮やかに映えます。

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出窓の模様もそれぞれ。

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さて、道路を一本隔てた講堂は

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一見教会を思わせる雰囲気で

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こちらも窓枠のデザインが個性的です。


ロイドの設計と言えば帝国ホテルが有名ですが、明日館は帝国ホテルの建設中に同時並行で進められた建物で、日本に4軒だけ現存するライト設計の建物です。当初の予算を大幅に越えて、半ば解任されるような形で帝国ホテルの竣工を見ぬままに帰国したロイドですが、その一方で同じ時期に私財という限られた予算の中でも、安価な素材に工夫を凝らして彼独特のスタイルを実現した明日館があるのは大変興味深いことです。

東京駅 [建築]

所用で久しぶりに東京へ出かけました。

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現在修復中の東京駅丸の内駅舎は、数週間前に工事の幕が取り払われてその姿を現しました。戦災で失われたドームと三階部分も見事に復元されています。今年の10月には全ての工事が完了して、100年前(1914年)の創設時の姿を取り戻すそうです。

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因みにこちらは辰野金吾と共に造家学会(現在の日本建築学会)の創立メンバーの一人であった松崎万長(まつがさきつむなが)設計した台湾の新竹駅舎。東京駅の1年前(1913年)に造られ、丸窓やアーチ窓を持つバロック風の建物です。新竹に住んでいる時には良く利用しました。こちらも老朽化が進んで内部はかなり傷んでいますが、今のところ修復の計画は聞いていません。

旧岩崎邸 [建築]

今日は友人との集まりがあって東京へ。少し早めに出て上野の旧岩崎邸へ行ってみました。

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冬枯れの蓮が一面を覆う不忍池の湖畔をぐるりと巡って池ノ端から一本裏道に入り、

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両側に巨木が立ち並ぶ砂利道をゆっくり登ると

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ジャコビアン様式を基調とした木造二階建ての洋風建築が現れました。鹿鳴館やニコライ堂を設計した英国の建築家ジョサイア・コンドルによる岩崎邸洋館です。

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かつて洋館をはるかに凌ぐ550坪の建坪を誇った和館は、残念ながら今ではその一部を残すのみです。

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堂々と枝を広げた樹齢数百年のヒマラヤスギは、往時の姿を見ていたのでしょうね。

駒場界隈 [建築]

今日は、これまで何回か太太に薦められていた駒場の日本民藝館へ出かけました。

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井の頭線の駅を降りて線路沿いにしばらくゆるやかな坂道を登ると、すぐに建物が目に入ります。

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玄関脇の陽だまりにある小さな石仏。木賊は子供の頃、石膏のレリーフを磨きあげるのに使いました。

玄関の正面に展示されている河井寛次郎と濱田庄司の肉厚な陶芸作品や、幅広の階段脇の壁に掛けられた棟方志功の版画を見ながら2階に上がると、朝鮮李朝期の器や台湾パイワン族の衣装、琉球の縞、アイヌの道具等、手仕事の美しさが現れた民芸品を観賞することができました。

私たちの身の回りで日常用いられている、いわゆる民芸品を作る無名の作者たちは、生活の糧とするために多くの作品を作るという時間的制約の中でも、自身の創意やアイデアを何とか形として具現化するように努めました。このような作品の中に、用と美を兼ね備えたものが少なからずあります。

民藝館から駒場公園の中にある旧前田侯爵邸まで少し足を伸ばしました。

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東門を入ってすぐ左手の和館の門をくぐり、

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美しい欄間のある座敷を抜け、ひんやりとした縁側から眺めると、庭の紅葉が夕陽を浴びて輝いていました。

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和館と渡り廊下で結ばれた洋館は、

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化粧レンガやタイルが美しい英国チューダー様式の建物です。

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簡素な美しさを持つ照明が、柔らかい光で造作を浮き彫りにし

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応接間の窓からは、広々とした庭が見渡せました。桜の花が咲く頃は一段と鮮やかでしょうね。

明治から昭和初期にかけての建築はとても魅力的で、見る人を楽しませてくれます。

遠山邸(記念館) [建築]

今日は久しぶりに比企郡川島町にある遠山邸(記念館)を訪れました。昭和史に残る日本建築の粋を集めたこのお屋敷は、見るたびに新しい発見があって幾度訪れても飽きないのですが、今日は春と秋の数日だけ一般に公開されるニ階に上がれる日だったので出かけた次第です。

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初めて訪れた時は未だ小さかった長屋門そばの植木も、時を経て茅葺きの屋根を隠すほどに育ち、柿の木が色づいた実をつけていました。

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ニ階に上がって洋間に入ると、薄い貝殻の欄間を通した光が、ほの暗い室内を照らして

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床の組木模様を浮かび上がらせていました。

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開かれた和室の窓から庭を見下ろすと、

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満開の萩が秋の訪れを告げていました。

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格子戸越しの石畳の縁側はひんやりとして、

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夏の暑さを和らげた簾も、秋の夕陽に映ると少し寂しげです。

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お屋敷を囲む田圃には黄金色に稲が実り、

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刈り取り機がバリカンよろしくあっという間に稲を刈り取ってゆきます。鳥たちも良く心得たもので、機械に蹴散らされながらも上手に落ち穂のおすそ分けにあずかっています。


先ほど放映されたNHKドラマ「白洲次郎」では、大磯の吉田邸が火災で焼失してしまったので、昭和の建築を今に残す遠山邸が使われました。

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庭から見た母屋

新河岸の船問屋 [建築]

伊佐沼を水源として和光市付近で荒川に合流する新河岸川は、江戸時代初期に川越と浅草の花川戸を往来する「川の道」として開かれ、昭和初期まで日常の物資や人を運んで来ました。九十九曲りと呼ばれるほど蛇行が多い新河岸川の沿岸には、明治時代までに23ヶ所の河岸場が設けられていました。

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かつてこの堤防の手前は「福岡河岸」、養老橋を挟んだ対岸は「古市場河岸」として賑わい、セピア色に褪せた昔の写真を見ると、折々に舟遊びなども楽しまれていたようです。

川のほとりには江戸幕府から商いを認められた「福田屋」「吉野屋」「江戸屋」の三軒の舟問屋があり、そのうち福田屋の建物が福岡河岸記念館として保存されています。

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現存する福田屋の建物は、舟運が最も隆盛を極めた明治の初期に建てられたもので、門を入ると正面に土蔵の文庫蔵、右手に主屋、その間に珍しい木造三階建ての離れがあります。

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90坪もある主屋の土間に入ると脇に帳場がありました。主人、番頭を含めた5人で、多い時には一日300件もの商いをさばいたそうです。

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使用人たちは衝立のように急な箱階段を上った二階で生活をしていました。

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福田屋の建物の特徴は何と言ってもこの三階建ての木造建築です。十代当主の時に建てられた寄棟作りの離れは、6本の通し柱で関東大震災にもびくともしなかったそうですが、寄る年波に老朽化が著しく、2年前から階上へは上がれなくなりました。

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一階奥の四畳半からは、洒落たガラス戸越しに、切り取った絵のように庭の風景が見えました。

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百年を経た家の中を歩いていると、波打ったガラス越しに見る風景とともに、時間が揺らいでいるような錯覚に陥ります。

歌舞伎座 [建築]

今宵は以前勤めていた職場の仲間と、歌舞伎座東新館にあるベトナム料理店に集まって旧交を温めました。

地下鉄東銀座の駅から階段を上がって晴海通りに出ると、外は生憎の雨。ライトに照らされた古風な建物を見上げると、シンボルの鳳凰丸紋が掛けられた歌舞伎門の脇に、三月公演の「元禄忠臣蔵」の垂れ幕がはためいていました。

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歌舞伎座が近代劇場として東京市京橋区木挽町(現在の銀座四丁目)でこけら落としをしたのは1889年のこと。それから度重なる火災や震災を経て120年の歴史を刻んできましたが、建物の老朽化が進み、来年には劇場が一体化された新しいビルに建てなおされることになりました。
恥ずかしながら歌舞伎には未だにご縁のない私ですが、神田の呉服屋に生まれた母は、娘の頃祖父に連れられて何度か来たそうです。

岡田信一郎が設計した国の登録文化財の保存に関わる意匠には、様々な意見が出ているようですが、少なくなっていく日本の伝統建築を、何らかの形で残すことができれば良いと思います。

今晩在歌舞伎座新館跟老朋友一起吃飯。五十多年前建設的歌舞伎座相当陳舊、現在有重建變新建築的計劃。我媽説她年少時候常來看歌舞伎我還没看。聴説關於有歴史建築的保存有各種各様的意見、但是我想要留下越來越少的日本傳統建築。
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