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お餅付き [里山の生活]

今日散歩をしていると、

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向こう隣りのYさんがお庭でお餅付きをするということで、お誘いを受けました。

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我が家の子供たちが幼い頃、子供会の行事で数回ついたことはありますが、玄米でつくのは初めてです。杵で潰すとまるで山芋のような粘りがありました。

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鬼下ろしの大根をかけたからみ餅に、定番のあずきときなこ

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豚汁や手作りプリン、お庭でとれたみかんも出てきて大満腹!

我が家も暮れには餅をつこうかな。


八郷クラフト・フェア [アート]

今日はカミさんに誘われて八郷のクラフトフェアに行きました。

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風が強く、時折小雨もぱらついていましたが、

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たくさんの出展がありました。

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とりあえず、軍鶏鍋で暖まってからお店をひやかしに。

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真鍮の打ち出しで作った作品は味がありますが、お値段を見るとちょいと手が出ません。

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そこで可愛い音がする鈴と、体験コーナーで自作のスプーン・・・槌目がついたオリジナル作品です。

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最後に親父さんが名前を入れてくれました。

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寒い中、筑波大学フォルクローレ同好会の皆さんがメキシコ民謡を歌ってくれました。

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八郷の山もきれいに色付いて、冬支度が始まりました。
 

第22日 帰国 「幸せの黄色いリボン」 [山登り]

11月21日(日)

成田出発から足掛け25日間の旅も最終日となり、タメル Thamel にあるホテルからカトマンズ空港に向かった。

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Y隊長は昨日金物屋で見つけた直径60cm程もある大鍋を車に積み込んだ。

  「こんなデカイ鍋、何に使うんですか?」

と聞くと、

  「味噌だよ、味噌。これなら余裕で大豆を煮込めるでしょう。」

と、いたくご満悦の様子。しかし、お土産の分が増えて全員の手荷物の総重量が既に20数キロ超過している我々は、10キロ程もある大鍋が加わって気が気ではない。Y隊長は

 「『トレッキングで確実に一人3キロ以上は痩せたから合計18キロは減ってる筈だ』と言って航空会社に交渉しようか。それでも駄目なら別送便にすればいいんじゃない?」

と到って気楽である。

空港ビル入り口に着くと、荷物を持ってくれていたパンタ君が、

  「私はここから先には入れませんから。ネパールでは黄色は幸運のしるしです。」

と、一人一人の首に黄色いマフラーを巻いてくれた。

飛行機がカトマンズ空港を飛び立つ時、窓から外を覗いたが、ヒマラヤの山並みは厚い雲の中だった。

【後記】

18日間、215kmのトレッキングが終わった。天空に白く浮かぶ山々、底の見えない切り立った谷、果てしなく続く不毛の大地・・・ヒマラヤの自然は想像していたより遥かにスケールが大きく、人々の生活は素朴だった。圧倒的なスケールの大きさと抗うことのできない自然の厳しさの中で、人間は素直にまた謙虚になるのかも知れない。
黙して歩く中で様々な思いが頭をよぎったが、それもいつの間にか消えて行った。目を閉じると今も身体の中を風が通り抜けるような透明な感覚が残っている。

第21日 カトマンズ市内観光 「歌合戦」 [山登り]

11月20日(土) 

今日はパンタ君がカトマンズの市内を案内してくれる。初めに市内東部にある「ボウダナート Boudhanath 」に向かった。

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カトマンズにある2つのヒンドゥー寺院と2つの仏教寺院は世界遺産に指定されているが、ボウダナートはその内のひとつで、ネパール北方タマン族仏教徒の人たちの聖地でもある。

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ストゥーパを取り巻く広場には、観光客や巡礼者相手のレストランや土産物屋が建ち並ぶ。

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その一角にあるビルの二階に上がった。床には製作中のタンカ Thanka (曼荼羅)が並び、壁には色鮮やかな作品が飾られていた。ここでは画学生が教師の指導を受け、曼荼羅の正しいルールに則って製作している。

次にヒンドゥー教の聖地パシュパティナート Pashupatinath を訪れた。聖なる川バグマティ・ナディの岸に来ると、立ち上る煙から異様な臭いが鼻を突いた。

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通り行く人々は黄色い布に包まれ、花に飾られた死者が目の前で焼かれるのを静かに眺めている。淡々とした日常生活の中に埋もれた弔い・・・不思議な光景だ。

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火力の強い木で焼かれた遺体は骨までが灰となり、バグマティ川の水に洗い流される。ここで荼毘に付されれば、やがて聖なる大河ガンジズに通じる。ヒンドゥー教徒であるパンタ君は、代々そうであったように自分もそうなるのだと言った。

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寺院の向いの丘に到る道には、身体全体に灰を塗った老人が何人かいた。家族を捨てた彼らは「悟りを得たもの(ババ)」と呼ばれ、この場所を死地として選んだ。

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丘からパシュパティナート寺院が見える。この寺院にはヒンドゥー教徒以外立ち入ることが許されない。

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車はカトマンズの南に隣接するパタン Patan に向かった。町の中心にあるダルバール広場には、16~18世紀に建てられたマッラ朝の王宮や寺院が立ち並ぶ。くすんだ煉瓦や木彫に飾られた建物が美しい。

市内見学を終えてホテルに戻り、ひとりで町中に出た。海外に出た時のお土産は大抵市場や商店で買う。普段皆が食べたり使ったりしているものの方が、何となくその国の生活を反映していると思うからだ。

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お茶や香辛料をうず高く積んだ間口一間ほどのお店に入ると、お嬢さんが丁寧に対応してくれた。ネパール土産に、高地で栽培されたILAM茶(紅茶)とカレー料理に欠かせない各種のマサラを加えた。

ネパール最後の晩となる今宵は、パンタ君たちが食事に招待してくれた。プーンヒル周辺のトレッキングから戻ったカナダ人のグループも一緒である。ワインが入るにつれて女性たちがコーラスを始めた。

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そうなると、皆大人しく飲み食いばかりいる訳にはいかない。カナダ、日本、ネパールの国別対抗歌合戦となり、我がチームは「山の讃歌」、「上を向いて歩こう」、そして何故か「東京音頭」まで飛び出し、宴はたけなわに達した。カナダチームは尻ごみする男性を尻目に、おばさんパワーが炸裂した。どこの国でも女性は逞しい。

第20日 ポカラからカトマンズへ 「待ちぼうけ」 [山登り]

11月19日(金)

ポカラからカトマンズへは国内線のイェティ Yeti 航空で飛ぶ。30分弱のフライトだ。

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10時半のフライトに乗るべく空港に行くと、大勢の乗客がカウンター前に並んでいた。ポカラ空港は有視界飛行の発着だが、今朝は靄が一面に垂れこめてカトマンズから折り返す飛行機がまだ到着していない。

展望テラスで紅茶を飲みながらのんびり待っていると、次第に靄が晴れて雲の合間にうっすらと雪化粧の山が浮かび上がり、爆音とともに照明をかざしたカトマンズからの一番機が滑走路に降りた。どうやら車で長い陸路を行かなくても済みそうだ。

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ポカラ空港は一本の滑走路で定期運航便と遊覧飛行を行っているので、時折モーターハンググライダーや小型セスナが、定期便の大型プロペラ機と反対の方向に離着陸することがある。他の国ではとても考えられないことだ。

待つこと4時間、ようやく我々の乗る機体がカトマンズから到着した。機内は狭く、屈むようにしてシートに着いて荷物を膝の上に抱えるとすぐに飛び立ち、ほどなくカトマンズの上空に達した。

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トレッキング中はせいぜい数十戸の集落ばかりを見て来たので、眼下に広がる人口350万の首都がとてつもなく大きく感じられる。

カトマンズ空港に着くと、旅行社会長のゴビンダ君が笑顔で出迎え、「皆さんスリムになりましたね」と言った。

第19日 ポカラ市内観光 「最後の難関」 [山登り]

11月18日(木) 

9時過ぎ、パンタ君が手配してくれたマイクロバスで市内観光に出かける。ポカラ市の北部にあるビンデャバシニBindhyabasini寺院には、朝から多くのヒンドゥー教徒が参拝に来ていた。

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参道には露店が並び、赤い花やココヤシを売っている。

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参拝者がここで買った花をこすりつけるので、立ち並ぶ像は一様に紅く染まっている。

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生贄の山羊を引いている参拝者もいる。

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車は北西に向かって街中を抜け、こうもりの洞窟 Bat cave に着いた。カンテラに導かれて入った地下洞窟の天井には、名前の通り夥しい数のこうもりがじっとぶら下がっていた。

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観光といっても照明設備の整っていない洞窟の中は暗くて足場がおぼつかない。上から手助けするパンタ君がなかなかGOサインを出してくれないので奥を見上げると、私の前を行ったK隊員が、大きな胴体を岩に挟まれて身動きならなかった。上下から手助けされて垂直の壁をよじ登り、最後に体を捻るようにして仰向けに這いずり出ると、

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白日の下、道行く高校生たちが驚いたような表情でこちらを見ていた。どうやらこのルートはあまり使われておらず、一般の観光客はこうもりを見た後は入口に引き返すらしい。パンタ君も「今回のトレッキングで今日が一番大変だった」と大汗をぬぐった。

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ひと運動してお腹がすいたところで昼食にした。ポカラの中心街、ペワ Phewa 湖畔にあるシャルミラ・レストランはパンタ君推薦の店で、狭い店内には引きも切らずに客が訪れる。シンプルだがここのマトンカレーが実に美味しい

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食後チベット難民キャンプへ行って絨毯の製作工程を見学した。入口で歌を歌いながら羊毛を紡ぐ老婦人たちに尋ねると、彼女たちはネパール語、中国語ともに分からず、チベット語を話すという。住み慣れた生まれ故郷を追われ、異文化の地で年老いてゆく難民たちの辛さはいかほどのものだろうか。心ばかりに支援の気持ちでカーペットを求め、「チベットに平和を」と言うと、「ありがとう」との声が返ってきた。

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夕食は中華料理屋に出かけた。残念なことに紹興酒を置いていなかったが、日本で定番のメニューを頂いて皆満足したようだった。

第18日 ゴレパニからナヤプル Nayapul (1070m) へ 「神の宿る山」 [山登り]

11月17日(水) 

明け方4時、部屋の窓から外を眺めると星が輝いていた。今日はプーン・ヒルからの視界が望める。5時、ヘッドランプを点けて石段を登り始める。

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山頂に着いてしばらく経つと、夜明け前の空に黒いシルエットを作っていた聖なる山マチャプチャレが、モノトーンの雪肌を見せ始め、

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その光は次第に西のアンナプルナ・サウス、ニルギリ、

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トゥクチェ、ダウラギリへと移り、

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朝日が昇り始めると雲は薄紅色に変わり、冠雪がオレンジ色に輝いた。

標高3210mのプーン・ヒル山頂から、更に5000m近くもの上空に広がる大パノラマに、集まった人々の間からため息が漏れ、やがてそれは歓声に変わった。太陽が昇り切って壮大なドラマの幕が閉じると、皆それぞれに余韻を感じながら下山の途に着いた。

今日はここから標高1070mのナヤプルNayapul まで、2000mを越す長い下りの道のりだ。

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バンタンティ Banthanti (2210m)を過ぎると、トレイルは転げ落ちるかのように急峻になり、数千段の石段がいつ果てるともなく続く。

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馬たちもあるいは脇道に逃げ、あるいは逡巡して立ち止まり、馬子に石や鞭で追われながら滑り落ちるように下って行く。

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膝が笑う程に5時間ほど下って、ようやく谷の底にあるチケドゥンガ Tikhedhungga の橋を渡ったのは昼前だった。

12時半、ヒレHilleの村に着いて昼食を採った。ポカラからナヤプルを経てゴレパニに向かうトレッカーは、通常ここで一泊して2日目にこの急登坂に挑むが、展望の開けない急坂を這うようにして延々と登るのは辛いものがある。普段トレッカーは笑顔を交わして「ナマステ!」、「ハロー!」などと気軽に挨拶を交わすものだが、そういえばここの下りですれ違ったトレッカーが、一様に厳しい表情だったのも頷ける。

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午後4時、ナヤプルに着き、迎えのマイクロバスに乗ってポカラに向かった。ポーターとはここでお別れである。ホテルのロビーで一人ひとりに寸志を渡すと共に感謝の意を伝え、全員で記念写真を撮った。全行程215kmを無事に終えることができたのは、決して屈強とは言えない体躯で、黙々と重い荷物を運んでくれた彼らのサポートがあればこそである。

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最後にキル君からアンナプルナ周回トレッキング修了のパスをもらった。行程上の10か所ある検問所で、通過ごとに押されたスタンプとサインである。

第17日 ゴレパニ滞留 「にわか料理人」 [山登り]

11月16日(火)

今朝は日の出前のモルゲントローを期待して、5時過ぎにロッジを出発した。ゴレパニから小一時間登ったプーン・ヒル(3210m)は、ポカラから二日で行くことが出来、ヒマラヤ山脈を一望できるので観光登山の人たちも多いが、山頂に着くと生憎辺りは霧で覆われて全く展望がきかない。

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続々と到着するトレッカーも、山頂の標識と共に記念写真に収まるしかない。

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出店でミルクティーを飲んでしばらく様子を見たが、小雨がパラつき始めたので、パンタ君は我々に下山を促した。

カトマンズを出てからトレッキングの前半は、ポストモンスーンの典型で快晴の日が続いたが、ここに来て雨は降らないものの曇天が続く。ここ4日ほどパンタ君は毎晩「明日は天気が回復する筈です」と自信ありげに言っていたが、こうも外れると少し自信をなくしたようで、「お天気とネパールの政治は先が読めない」と、少し弱気になった。

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諦めてロッジの近くまで降りて来ると空が次第に明るくなり、アンナプルナ・サウス(7219m)、I峰の前衛とニルギリ(6839m)の鋭い尖峰がうっすらと雲間に浮かんだ。少し上のロッジに登り返してテラスで様子を見たが、しばらくすると再び厚い雲で覆われてしまった。

ロッジに戻ると、旅程の厳しい他のトレッカーたちは、ここ数日で初めて顔を見せた山並みに満足して下山の途についた。我々は二日かけてポカラに下る予定を一日に短縮し、もう一日ゴレパニに滞在して天候の回復を待つことにした。

昼飯はY隊長が日本から持参したインスタントラーメンを食べることにした。ネパールに来てからずっとクニャクニャのスパゲティヌードルスープを食べさせられて来た仲間は、厨房のコックを信用せず、一様に「麺がしっかりしたラーメンに卵を落として食いたいなぁ」というので、急遽私が厨房を借りて6人分の和風ラーメンを作ることにんった。スープに刻んだ野菜を入れ、別の鍋でサッとラーメンを茹で、卵を落として器に盛ろうとすると、厨房にいた女性たちが珍しがって「味見させてよ!」とせがんだ。別の小さな器三つに少しずつ入れると、彼女たちはくったくのない笑顔を浮かべ、ほっぺたに人差し指を当てて手首をクルクルと回すしぐさを見せた。「ベリー・グッド」ということらしい。たかがインスタントラーメンだが、ちょっと背筋が伸びた気分だ。

第16日 タトパニからゴレパニ Ghorepani (2860m) へ  [山登り]

11月15日(月)

タトバニで温泉に入り十分休養した後、今日は再び標高2680mのゴレパニ Ghorepani まで標高差1500mを登り返す。

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カリ・ガンダキ川沿いの道を歩いていると、幼い少女がみかんを買って欲しいと声をかけて来た。学校に行く途中らしい。みかんは要らないが、鉛筆を渡して「勉強するんだよ」と言うと、少しはにかんだ様子で礼を言った。

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急な坂道が続く。一旦下った山道を再び登り返すのは心理的に辛い。

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しかし山ほどの藁を背負って坂道を上ってくる女性とすれ違ったりすると、とても弱音は吐けないと自戒する。

道すがらアシスタントガイドのキル君と話をした。彼の親友はエベレストのガイドをしていて、天候不順を突いてルクラ空港に着陸を試みた航空機の事故で亡くなったそうだ。この地を訪れる人たちは神々しいともいえるヒマラヤの景色を期待しているし、それを知っている地元の旅行社も顧客に喜んでもらおうと無理をすることもある。しかし自然はいつも優しいとは限らず、その犠牲となる人もいる。

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11時過ぎシカ Shikha の町に差し掛かると、民家の屋上で女性がミレットの穂を叩いて脱穀していた。なかなか手間のかかる作業だ。

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食事を済ませ、再び登り道を行く。この辺りは樹林も多く、日本の山にどこか似ている。

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午後4時、長い道のりを経てゴレパニのマウンテン・ビュー・ロッジに着いた。乾ききっていない洗濯物をストーブにかざし、ビノさんやキシノ君と共に暖をとった。パリから来たお嬢さんは、ポカラから上がって来たショート・トレッキングだが、この一週間の天候不順で未だ山を見ていないという。

第15日 タトパニ 「温泉での休息日」 [山登り]

11月14日(日)

今日は休息日、もう一日タトパニに滞在して温泉に入り、これまでの旅の疲れを癒す。

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標高1190mのこの町は暖かく、ロッジの中庭にもみかんやレモンなど、南方の果物がたわわに実をつけている。

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町中を散歩していると、日向で若者がゲームに興じていた。赤と白の丸いチップを使って、コーナーの穴にチップを落としている。おはじきのようでもあるが、見ているとどうやらビリヤードの簡易版のようだ。

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German Bakery と大きな看板を掲げたパン屋さんがあったので、チョコレートブロウニィとクリームチーズケーキを買い、仲間とロッジの中庭でネパール茶を飲みながら味を楽しんだ。

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部屋の前のテラスに出て洗濯物を干していると、階段の下にいた子供が声を掛けてきた。カタコトの英語で言っているらしいのだが、残念ながらちょっと良く分からなかった。

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タトバニの温泉はいわゆる川湯で、70℃くらいの源泉に水を加えているので十分に熱い。これまでぬるいシャワーしか使っていなかったので、身体の芯から温まるこの温泉は有難い。

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トレッカーは湯舟のヘリに腰かけて話をしたり、ビールを飲んだりしながらそれぞれにのんびりしている。時折脇の道を通る乗合バスの窓からトレッカーが乗り出して、写真を撮ったり明るい歓声を上げて通り過ぎる。

温泉に入ったりお茶を飲んだり、今日は一日のんびり過ごして、明日からへの英気が養われた。

第14日 ガサからタトパニ Tatopani (1190m)へ 「11月の桜」 [山登り]

11月13日(土)

朝起きてロッジのテラスに出ると、

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山は立ちこめる霧に隠れていた。今日も天気がおかしい。

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8時過ぎにロッジを出て村のはずれまでやって来ると、少女たちが蹴鞠に興じていた。お手玉のように「エウタ、ドウタ、ティンタ(1,2,3)・・・」と数を数えながら、脚の内外や膝で上手に蹴っている。今日は土曜日でネパールの休日、学校も休みである。

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歩いていると、樹齢十数年ほどの桜の木が目にとまる。11月に満開の桜を見るのも不思議な気分だ。ネパールに自生の桜があるとは考え難く、リンゴ栽培の技術協力の時に日本から持ち込んで植えたのかもしれない。、

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この辺りまで来ると車も多い。ジョムソンからカリ・ガンダキ河を下るにつれて町が開けてくるので、この辺りでトレッキングを終えてバスで移動するトレッカーも結構いるようだ。

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しかし旧道に入れば渓谷はまだまだ深く、トレイルも急な岩壁を縫うように進む。

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ルプチェの滝 Rupse Chhahara で休息、レモンティーが美味しい

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ダナの町でみかんを食べて休憩するポーターさんたちと合流した。トレッキング中は我々の歩くペースが遅いので、重い荷物を背負っているにも関わらず、大抵彼らが我々の先を行く。左からビナさん、プラカシュ君(黄色のシャツ)、ボアラランさん、ママさん、キシノ君。キシノ君とプラカシュ君は学生さんだ。皆まじめでおとなしいがとても親切。細身にも拘らず力持ちである。

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グイテ Guithe の村に入ってツリートマトを見かける。多年草でイタリアントマトのような形状をしている。村の人がひとつちぎってくれたが、酸味と甘みがあって美味しい。こちらではスープに良く使われている。

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1時前、タトバニ Tatopani に着いた。温泉のあるこの町には多くのトレッカーが逗留している。

今夜はバーベキューをするということで、ガイドのパンタ君が山羊を連れて来た。しばらくして、「上の広場でこれから捌くので見に来ないか」と誘われたが、さすがに見るに忍びなく、丁重に辞退りした。

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しばらくして広場に行くと、ロッジの料理人が、捌いた羊を洗濯干しの支柱に掛けて、バーナーで焼いていた。

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日が沈むと皆がロッジ裏の広場に集まってバーベキューが始まった。パンタ君がマサラ、チリ、ガーリックとブランデーで漬け置いた肉を炭火で焼き始めると、煙とともに香ばしいにおいが立ち込めた。肉は硬いが臭みは全くなく、噛みしめるほどに味が出る。

明日は休息日なので、ポーターの皆も集まって「ロキシーパーティー」となった。

第13日 マルファからガサ Ghasa (2010m) へ [山登り]

11月12日(金)

ホテルを出発しようとすると、バスから大勢の人が降りて来た。

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ホテルの1階の商店で売っているりんごが美味しくて安いのだそうだ。良く見るとホテルの周りにはりんご園が広がっている。

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ドンガ Dhonga のつり橋にさしかかると、木の枝が一様に川上に向かってなびいているのに気付いた。ムスタン渓谷の風の強さを象徴している。

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8時半、まるでアップルパイの断面を見るようなカリ・オダール Kali Odar の岩壁は、ヒマラヤ山脈が褶曲で形成されたことを如実に示す良い例だ。

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9時前、トゥクチェ Tukuche の町に着いた。白い石積みの壁に窓や扉の鮮やかな色が映える。


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ラージュン Larjung あたりまで下ると、カリ・ガンダキの川幅は一段と広くなる。時折河原をバイクが通る。

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レストランの二階でお茶にした。この辺りの建物は、屋上を上手に利用していて、ひとまたぎで隣家の屋上にも行ける。

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正午過ぎにコケタンティ Kokhethanti のレストランで昼食をとった。壁に掛けられたカレンダーが目に着いたが、一枚に月の半ばから翌月の半ばまでをまとめており、どうやらネパールの暦は西暦と異なるようだ。

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食事を済ませて外に出ると、鶏が昼寝をしている犬のお腹でちゃっかり休んでいた。ネパールの犬は外見は屈強だが、性格は総じておっとりしている。

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ガサ Ghasa の町に近付く頃から、空は低い雲に覆われ始めた。ポストモンスーンのこの時期に雨が降ることは殆どないが、今年は気候が例年とは少し違うようだ。

午後3時半、宿泊地ガザのゲストハウスに到着した。

第12日 カグベニからマルファ Marpha (2670) へ 「河口慧海」 [山登り]

11月11日(木)

朝食の前、カグベニの町中にある仏教寺院(ゴンバ)を訪れた。

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村人がちらりほらりと参詣してマニ車を回してゆく。燭台の火に曼荼羅の絵が浮かぶ。

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マニ車を回していた老人が、「オ・マニ・ペデ・フム」と唱えながら、未だ薄暗い街角を通り過ぎて行った。

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今日は馬でマルファまで行くこととなった。律儀なF隊員は、「馬に乗ったらトレッキングの終了証はもらえんでしょう」と歩きに徹したが、結局私を含めた4人が馬に乗ることになった。これまでロッジで度々出会うトレッカーと馬上で顔を合わせるのは少し気恥ずかしい気持ちもあったが、実はトロン・ラからの長い下りでうっかり左膝を捩じり、今日は少し脚を休めたかった。

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カグベニからマルファまで、ムスタン渓谷の風を受け、正面にニルギリ(7061m)とダウラギリ(8172m)を眺めまがらカリ・ガンダキ河のなだらかで広い河原を進む。河はネパールを南北に縦断、インド北東部でガンジス川と合流し、遠くバングラディシュに到る。

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ジョムソン Jomson は飛行場もあるムスタンの郡庁所在地で、バスに乗ればガサ Ghasa 経由でポカラまで行くことができる。

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ここで馬を休め、レストランの屋上テラスでミントティーを飲んだ。長時間馬に跨っているのも結構疲れるものだ。

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12時半過ぎ、長い馬の旅を終えてマルファの町に入った。石造りの町並みが整然と続く。

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小学生くらいの子供が、林檎の籠を抱えて通り過ぎた。1kg 50ルピー(約60円)。小ぶりのリンゴは1個10円もしない。子供たちは幼い頃から重たい荷物を運んで親を助ける。

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町の中ほどに河口慧海の泊った宿が記念館として残されていた。著書『西蔵旅行記』で知られる慧海は、仏教経典のサンスクリット原典とチベット語訳を入手すべく、インド・ネパールからヒマラヤを越えてチベット・ラサへの入境を果たした。明治34年、彼が35歳の時であったが、当時の装備や現地の状況を考えれば、想像を絶する難行であったことは想像に難くない。

第11日 ムクチナートからカグベニ Kagbeni (2800m) へ 「神様の砂遊び」 [山登り]

11月10日(水)

朝起きて朝食の前にムクチナートの町を散策した。

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ヴィシャナ寺院への道を登る。観光客で賑わう日中より、人気の少ない早朝の方が静かにお参りできる。ポーターのボアララン君とプラカシュi君がすれ違いざまに「ナマステ!」と声をかけてくれた。彼らは敬虔なヒンドゥーの信者だ。

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ヴィシャナ寺院のある丘からは、朝日を浴びたダウラギリの山並みが見渡せる。ムスタンの谷は濃い靄に埋もれていた。

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朝の早い荷役の馬たちは、もう広場に集まって出発の準備をしている。我々もムクチナートを発った。

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ジャルコット Jharkot の町に差し掛かると、眼下に林檎畑が広がった。日本からの技術協力で林檎の栽培が成功し、軽いリキュールのシードル、アップルブランデーなどがこの辺りの名産となっている。

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街角のあちこちで林檎の露天商が声をかけてくる。一緒に化石を売っているのが可笑しい。

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キンガー Khinger の村に差し掛かると、荒野からドラとラッパの音が響いてきた。葬列が山の裾野を巡りながら、所々で枯れ草に火をつけている。手・足と別々に鳥葬で弔られた死者の身体は、魂とともに煙となって大空に舞い上がった。この地方で幾千年と変わらぬ情景であろう。

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果てしなく広がる谷の向こうに一塵の煙が上がり、

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ようやくそこに道があることに気づく。

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風化で不思議な模様を見せる山肌は、まるで神様が戯れに砂遊びで作ったようだ。

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11時過ぎ、車の通る広い道がかろうじて見える線となったその先に、カグベニ Kagubeni の町が現れた。

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背後に迫る大岸壁に刻まれた道は、まるでナスカの地上絵のようだ。今日は午前中で行程を終え、昨日の疲れを癒す。


第10日 ハイキャプからムクチナート Muktinath (3760m)へ [山登り]

11月9日(火)

昨夜は1,2時間しか眠れなかった。今日の1日は長いトレイルになる。

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4時半、ヘッドランプを灯して出発した。

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2時間ほど歩くと、ようやく昇った朝日がヤクワカン Yakwakang (6482m) の尖峰を照らし出した。

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馬の隊列と足並みをそろえて最後の坂を登り切り、

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午前8時、キャチュンカン Khatungkang (6484m) とヤクワカンに挟まれた峠「トロン・ラ」に到着した。標高5416m、今回のトレッキングでの最高地点である。峠の茶屋でネパール茶を飲んで、お互いの健闘を祝福しあった。
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今日はここから標高3760mのムクチナートまで1600m余りを下る。先は長い。

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標高4200mあたりまで下ると、右手に突然廃墟の村が現れた。ヤク飼いの人たちの住居だったが、彼らは荒廃した土地に放牧を放棄して他の地に去った。

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正午前チャバーブ Chabarb で軽い食事を済ませ更に下る。午後1時半、ダウラギリ(8172m) からトゥクチェ Tukuche (6920) に連なる連峰を前方に、ムクチナート Muktinath の町を見下ろした。ムクチナートは富士山頂とほぼ同じ標高だが、身体が高所に順応しているため、まるで平地に下りたように暖かく、不思議な感覚がした。

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この町の高台にあるヴィシュヌ寺院は、背景の山をチベット仏教の祈りの旗で埋め尽くしているが、ヴィシュヌ神を祀ったヒンドゥー教巡礼の聖地でもある。ムスタンの谷で、チベット仏教とヒンドゥー教が融合した。

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ポカラからの道路が通じているムクチナートは、トロンパスの東側と打って変わって町が開け、街道沿いには土産物屋が並ぶ。

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路頭で機織りをしている様子を見ていたら、その女性に強く勧められてヤクウールのショールマフラーを買い求めた。カシミヤやパシミナなどのシープウールに比べて少し肌触りが荒いが、染めの色合いが良く値段も圧倒的に安い。首に巻くととても暖かかった。

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物資輸送のインフラが整っているおかげで、夕食はトマトのサワースープ、餃子(地元ではモモと呼ぶ)と

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野菜のお浸し、それにバッファローのハンバーグ。久しぶりにバラエティに富んだ食事でお腹の膨らんだ私は、昨晩の寝不足もあって早々に床についた。


第9日 ヤク・カルカからトロンフェディ Thorung Phedi ハイ・キャンプ(4925m)へ  [山登り]

11月8日(月)

7時前、厨房を覗き込むとチベット風パンを作っていた。

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小麦粉を練ったタマを棒で伸ばして切目をつけ、

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フライパンで揚げる。朝食はこれに卵焼きとポテトをつけ合わせ、ネパール茶を添えた簡単なものだ。

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8時、ロッジを出発する。ヤク・カルカの出口には、岩肌に色鮮やかな文字と絵が描かれていた。これならお供え物も朽ちることが無い。

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コネ・コラ Kone Khola 渓谷沿いのトレイルは、両側に鋭い岩山を見上げながらも、4200mのトロンフェディまでなだらかに続く。岩肌を縫うように高度を上げるにつれ、後方のアンナプルナ連峰が山陰に隠れて行く。

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この辺りの気温は日中でも零度近く、凍てついた滝からはわずかな水が滴り落ちるに過ぎない。

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プルクン・ヒマル Purkung Himal の雪解け水が流れる渓谷を渡った休憩所でフランス隊と一緒になった。合言葉は“Su-Doku!”

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これから先は、しばらく崩壊沢が続く。褶曲で持ち上げられた岩石が、氷と風に晒されて風化される。長い年月をかけた地球の営みだ。

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正午前、トロンフェディ Thorung Fedi (4450m) に着いた。食事をしながらガイドのパンタ君たちと午後の予定を相談した。明日のトロン・ラ峠(5416m)越えは、登り1000m、下り1600mの行程でかなり厳しい。今日中に4760mのハイ・キャンプまで行くと、ヤク・カルカからの標高差は700mとなり高度順応の基準を若干超えるが、明日の負荷を少しでも軽減するため進むことにした。

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トロンフェディの町を過ぎると、トレイルはかなり急な登りになる。

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時降り立ち止まり、息を整えながら登る。登坂のペースはかなり落ちた。

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午後2時半、ようやくハイ・キャンプに到着した。私とI さんはハイキャンプから更に150m程上のピークに登って身体を慣らし、明日の峠越えに備えることにした。

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ピークは標高4900m、フランスやドイツから来たトレッカーから、「ついにアルプスの高峰を越えた!」と喜びの声が上がる。

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山頂から遮ることのない周囲を展望する。世界の屋根といわれるヒマラヤだけに、ケルンの先にも6000m級以上の山々が果てしなく続く。

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ロッジに降りる頃には日も陰って、気温も急激に下がった。石室のようなロッジは体温を奪う風こそ遮ってくれるものの、部屋の気温は外気と殆ど変わらない。ヒマラヤの一日には四季があると言われる。11月中旬ともなると、ここハイキャンプでは日の出前の最低気温が零下15℃を下回る。風が吹くと体感温度は更に下がる。フリース帽子を被り、ダウンジャケットを着てシュラフに潜り込んでも、周りからしんしんと冷え込んでくる。朝日が昇ると気温は一気に上がり、トレッキング中は薄い長そででも汗ばむほどだ。そして日没とともに再び零下の世界に戻る。

夜、希薄な空気に息苦しくて目が覚め、ベッドに起き上がって何度か深呼吸をした。起きている時は意識的に大きな呼吸をするが、眠ってしまうと呼吸は自然に浅くなるので酸欠状態になる。こんなことを繰り返すうち、夜が白み始めた。

第8日 マナンからヤクカルカ Yak Kharuka (4018m)へ  「数独大会」 [山登り]

11月7日(日)

6時、目が覚めると熱は平熱まで下がっていた。少し頭がふらつくが食欲が出て来た。予定通りの行程で進むべく、皆に状況を報告して昨晩の礼を言った。

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町はずれの高台から振り返ると、マナンの町は朝日を浴びて眩しいほどに光っていた。

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町の出口にあるマニ車の傍で土産物を並べている親子がいた。これより先4000mを越える高所には、トレッカー相手のロッジがあるだけで、定住者は居ない。自然条件があまりにも過酷で生活が立ち行かないからだ。

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グンサン Ghunsang に到ると、ガンガプルナはその堂々たる山容で我々を圧倒した。

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ギャンチャン Ghyanchang の集落を過ぎて橋を渡ると、前方に冠雪したグンガン・ヒマル Gunggang Himal の山並みが現れた。

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道は更に高みに登るが、祈りの旗が途切れることはない。

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山塊は巨大となり、

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道行く人さえ針の穴ほどにも見えない

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遥か上方の斜面に、野生の山羊の群れが見えた。

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正午過ぎ、前方にヤクカルカ YakKharka のロッジが見えた。標高4018m、玉山の3952mを越えた。これからは経験のない高さに入る。

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午後2時半、ロッジについて昨日できなかった高所順応をすることにした。明日の高度差を考えて4400mまで登ることにする。時間は往復2時間、日が陰るまでにロッジに戻ることにしてI隊員と2人で出かけた。体調はほぼ戻った。ガンガプルナはまだ遥かに天空にある。

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夕食の前、ポーターの集まる厨房に入った。ガーリックペッパーで炒めたバッファローの干し肉の香りが部屋いっぱいに広がる。

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食堂ではフランス隊から渡された数独の早解き競争になった。今や"Su-Doku"は世界共通語である。さすがフランス人とインド人は数学に強いと言われるだけあって、残念ながら我が隊は後塵を拝した。

第7日 マナン滞在 「突然の発熱」 [山登り]

11月6日(土)

今日はマナンに連泊し、標高4000mのガンガプルナ氷河の末端まで往復3時間半の行程をこなして高度に順応する。
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マナンの町からマルシャンディの河原に下り、対岸に渡って再び山を登り返す。高度順応の必要性はポーターたちも例外ではなく共に登ったが、荷物を持たない彼らの足取りはいかにも軽く、ハイキングに行くかのように楽しげに話しながら登って行く。ガンガプルナは標高3500mのマナンから更に4000mの高みにあるが、全てにスケールの大きい自然の中で見ると、ほんの目の先にあって簡単に登れそうな錯覚に陥る。

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高度を上げると、眼下に雪解け水を貯めた湖が見えた。キル君の話では、渡り鳥がやってくるが魚はいないらしい。マナンから先のトレイルは、プサンダンダ Pusan Danda (5279m) の岩山を挟んで、右にトロン・ラ・パス、左にティリチョ・パスの2ルートに分かれる。ティリチョ・パスでジョムソンに抜ける途中には、世界で最も標高の高い湖ティリチョ・レイク(4920m)がある。

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標高3800mのコルまでやって来た時、突然体調が悪くなった。この高さは富士山台湾の玉山、雪山で経験していて全く問題がない。昨日のオキシメーターの値も正常であり、頭痛もないので高山病とは考え難いが、身体がだるく悪寒がする。氷河の入り口までは後200m程度の標高差だが、大事をとってここで休むことにした。どうやらアッパー・ピサンの寺院で薄着のまま夕陽が沈むまで吹きすさぶ風の中にいて風邪をひいたらしい。

標高3500mを超すと、11月の朝夕の冷え込みは厳しく零下にもなるが、陽が昇ると気温は一気に上がり、歩いていると半袖でも汗が出る程だ。岩の陰に寝転がって風を避け、周りの景色を見遣った。

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アンナプルナIII峰(7555m)の山頂付近は、大きなカールが雪煙を巻き上げ、

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ガンガプルナの山頂付近から、氷河が山肌を削って深い谷に崩れ落ちて行く。

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1時間半ほどして、4000m付近で高度順応訓練を終えた仲間が戻るのを待って、一緒にマナンに下った。

ロッジに戻ったがあまり食欲が無く、昼食、夕食共に食べずにシュラフに潜り込んだ。体温は38℃近く、徐々に上がって行く。明日から2日間はトロンペディ(4800m)、トロン・ラ(5416m)と厳しい登りが続く。万が一ひどく体調が崩れた場合、ここまで戻るにしても楽ではない。皆と行動を別にして医療機関のあるマナンに滞留し、体力が回復したらフムディから飛行機でジョムソンに飛んで合流するか、最悪カトマンズに戻るかと、取りとめのないことを考えていたが、意を決してY隊長に明日のマナン滞留を申し出、再びシュラフに潜り込んだ。

しばらくするとM隊員がドアから顔を出し、ガイドと仲間が食堂に集まっているので来て欲しいと伝えて来た。ガイドのパンタ君が言うには、フムディからジョムソンへのフライトはなく、カトマンズへ戻るにしても峠を越えてムクチナートへ出た方が交通の便が良いこと、体力が無ければ馬で運べること、全員でマナンに滞留しても良いことなど幾つものオプションがあること、そしてY隊長は「俺たちは遊びで来ているのだから、スケジュールの変更なんか、皆に気を使う必要は全くないぞ」と言ってくれた。とにかく今夜十分睡眠をとった上で、明朝の体調次第で全員の行動を決めることになった。

希薄な空気の息苦しさで1時間おきぐらいに目が覚め、その都度お湯やサプリメントを飲んだが、不思議なことに明け方になって熱は7度近くまで下がった。

第6日 ピサン Pisang からマナン Manang (3540m) へ 「高山病対策」 [山登り]

11月5日(金)

夜半、目を覚ますと空に満天の星が光っていた。

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オリオン、獅子座、シリウス・・・空気が澄み、明かりの無い高山で見る星空は、まるで隙間なく宝石をちりばめた絨毯のように見える。


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7時45分、マナン Manang へ向け出発した。既に標高3000mを越しているが、更にその上の高みにも畑らしきものが見える。

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木々も次第にまばらになり、辺りは岩肌と雪の景色に変わった。

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救急ヘリの基地であるフンデ Hunde を過ぎた所で、民家の入り口に山羊の首が掲げられていた。パンタ君の説明では、この地方特有の魔除けらしい。

午後1時、今日の宿マナンのティリチョホテルに着いた。

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野生の木の実ヒマラヤ・シーバックソーン Himalaya Seabuckthorn のジュースがとても美味しい。グミ科の低木でビタミンが豊富なこの木の実を絞った油は、古くギリシャ文明の時代からハーブオイルとしてスキンケア等にも使われてきた。

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特に予定の無い午後、しばらく町中を散策した。マナンはガンガプルナ Ganngapurna (7454m) とチュル Chulu (6584m) に挟まれた谷間だが、マルシャンディ河の堆積層が数百メートルの幅に広がって、空が開けている。


食堂で休んでいると、ロッジのオーナーから声がかかり、この町に拠点を置く医療機関「ヒマラヤ救急医療センター(HRA)」が行う高山病対策の講義を受けるよう勧められた。3540mのマナンから5416mのトロン・ラ Throng La まで、高所順応の訓練をしながら行程をこなすにも話を聞いておいた方が良い。会議室へ行くと、20人程の先客がいた。

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脱水を避けるため、喉が乾かなくても水を1日3リットル以上飲む、一日の標高差は500m以内に抑える、決して焦って登らない、息苦しくなったら早めにダイアモックスを服用する等々、先生はポスターを使って丁寧に説明してくれる。一番危険なのは急性脳浮腫だが、50歳以上の人は既に脳が委縮し始めているので、その可能性は低いと聞かされて生徒一同は大笑い。

今回のトレッキングを始めてから、パルスオキシメーターで血中酸素の変化をトレースしてきた。私の場合、標高1000mで97あった数値が、2500、3000、3500 と高度を増すにつれて、94、90、87 と徐々に下降したが、正常値を100として、85以上であれば高所順応が順調に行われていると判断される。

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ガイドやポーターも面白がって測定したが、さすがに山で生活している人たちは強い。一方数値が只一人80を切った我が隊長は、「これから峠を越えるまでしばらく酒を断つ」と、幾分しょげた様子だった。

一番若いI 隊員と私を除いた4人は、大事をとってダイアモックスの服用を始めた。私もとりたてて飲まない理由もないのだが、自分の身体がどの高度まで対応できるか知りたいと思ったからだ。


第5日 チャメ Chame からピサン Pisang (3100m)へ 「サプライズ」 [山登り]

11月4日(木) 

朝起きてロッジの厨房に行くと、ポーターのママさんがかまどの火に当たりながら紅茶を飲んでいた。

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食堂のストーブは夕食の時だけ火を入れるので、冷え込む朝に暖をとれるのは厨房だけだ。通常トレッカーは厨房に入らないが、私も紛れ込んでチベット茶を飲んだ。チベット茶はバターと塩をミルクに溶かしたお茶だが、この辺りのものは幾分バターが薄目に作られている。多分寒さがチベットほどではないからだろう。

マルシャンディ川にかかるつり橋を渡って、次の目的地ピサンに向かう。

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チャメの町を過ぎると、街道沿いには「オ・マニ・ペデ・フム」と祈りの言葉を刻んだ石やマニ車が随所に見られるようになる。チベットとの国境に近く、辺境で閉ざされていたムスタン王国に近いこの地方には、今もチベット文化の影響が色濃くなる。

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ブラタン Bhratan の町に差し掛かると、道端で林檎を売っていた。小ぶりだが蜜がたっぷり入っていて、乾いた喉を潤してくれる。

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この辺りから岩山が続く。トレイルは岩肌を穿ち、屏風のような岩が覆いかぶさる。

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ブラタンBhratan の集落を過ぎると、突然右手にスワルガドワリ・ダンダ Swargadowari Dandaの岩山が現れた。標高3000mから4500mの山頂近くまで、長さ4kmにわたって一枚岩が天を突き、トレッカーを圧倒する。

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デュクル・ポカリ Dhikur Pokhari の入り口で登山登録をした。アンナプルナ周回トレッキングでは10ケ所の登録所で届を出す。個人のトレッカーが遭難した場合、どの区間で消息を絶ったかを知る重要な手掛かりとなるからだ。

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昼食をとったロッジ後方に、アンナプルナII峰(7937m)の前衛が頭を覗かせた。

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ピサンに向かって広い谷を歩いていると、材木を運んでいる人に出会った。追い越しざまに見ると、何と女性である。街道沿いを見ていると、女性の働き手が目につく。特に農村部では家畜の世話、田畑の手入れや稲刈り、水汲み、身の丈の倍ほどもある干草や籠に入れた薪の運搬等々、過酷な重労働を黙々とこなしている。その一方で男性たちはと言うと、町角でたむろして世間話をしていたりするのが目に着く。アフリカもそうだが、途上国での女性解放は、長い慣習にとらわれ遅々として進まない感がある。

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3000mを超すとさすがに気温も下がり、山影の道は凍てついて滑りやすい。

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午後2時前、雪を頂いたチュル Chulu(6429m) の尖峰を遥かに望んでピサンの町に着いた。ロッジに荷物を置いてマルシャンディ河を渡り、ジョンリ Jong Li(6091m) の麓に開けた古い集落アッパー・ピサンに脚を伸ばした。

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村の最上部にはチベット仏教の寺院があり、中で若い僧侶が経典らしきものを広げて頭を突き合わせていた。

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この寺の正面に、アンナプルナII峰(7937m)とIV峰(7525m)の堂々たる山容が見える。風の吹きすさぶ石段に腰かけて、移り行く山の色に見入った。

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夕日が山の稜線に隠れると、谷あいの町ピサンは黒い影に覆われ、気温が一気に下がり始めた。急いで麓まで下る。


101104_15.jpgロッジに戻って夕食の席に着くと、パンタ君がケーキとラム酒を用意していた。同行のKさんの誕生日が今日だということを知って、チャメで密かに調達したらしい。

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Kさんはプレゼントのナイフも頂いて、突然のサプライズにご満悦だった。

第4日 ダラパニからチャメ Chame (2675m)へ 「マナスルのアーベントロー」 [山登り]

11月3日(水)
 
7時半にダラパニのロッジを出発し一時間程でバガルチャップBagarchapまでやって来ると、民家の軒先で地元の酒「ロキシー」を作っていた。

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いわば自家製の「どぶろく」のようなものだが、ミレットを発酵させた後、焼酎の芋窯のような容器で蒸留をしているところは本格的だ。蒸留の程度によってアルコール度は20~30%と振れる。香りはウィスキーのようだが、樽に入れないので色は無色透明。どこのロッジにいっても置いてあり、自家製なので何よりも安い。ビールの空きビンに入れて出してくれるが、地元の人なら1本100円ぐらいで手に入る。焼酎党のY隊長はこの酒がいたく気に入って、夕食には必ず「ロキシー!」と元気よく注文するが、これから先のトレッキングでは、時に「ロキシーウォーク」ならぬ怪しげな足取りを見せることになった。

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マナンから先の地区はチベット仏教の影響を受け、村々の入り口には街道を通る人の平安を祈るマニ車が並べられている。一回転するとお経を読んだのと同じご利益があるという至って便利なものだが、塀のように長く連なる数十ものマニ車を丁寧に回してゆくのは随分骨が折れる。

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ダナキュ Danakyu の町で見かけた幼児。りりしい少年のような顔立ちだ。

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11時過ぎにティマンTimangの町に着き昼食をとった。レストランの屋上テラスでチベット茶を飲みながら、前方に大きく広がるマナスル(8163m)の荒々しい稜線を望んだ。

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しばらく進むと、突然行く手を羊の大群に阻まれた。ただ待つしかない。

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この辺りは2500m近いが、熱帯に近いこともあって巨木が生育している。車という移送手段がないこの地域では、切り倒した大木をその場で製材する。一抱えほどもある原木を台に乗せ、刃渡り3mはあろうかという手鋸を上下にいる二人が呼吸を合わせて挽き、板材を切り出す。その腕前は見事というほかない。

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こうして切りだされた板材が、家屋の補修などに使われる。

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午後3時半、祈りの旗を頭上に見て、マナン郡の郡庁所在地チャメ Chame の町に入った。

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ロッジの名前は"Hill Town" 、我々は戯れに「ヒルトンホテル」と呼んだ。

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夕食前のひと時、沈む夕陽に光るマナスルのアーベントローを飽かず眺める。

第3日 ジャガット Jagat からダラパニ Dharapani (1960m)へ [山登り]

11月2日(火) 

街道沿いの町の朝は早い。

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6時ともなると、大きな荷物を背負った人が黙々と足を運び、馬たちも首からぶら下げたベルをカランコロンと響かせながら町を通り抜けてゆく。

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切り立った山に囲まれた谷間の朝は山陰に日が遮られ、8時近いというのにまだ冷え冷えとしている。

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次第に険しくなるマルシャンディの谷の荒々しい岩肌を良く見ると、崖の中腹に蜂の巣がへばりついていた。食糧の乏しい山間の村にとって、蜂蜜は重要な栄養源である。

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道は次第に細くなる。生活道路であるトレイルでは、物資を運ぶポーターや馬に道を譲るのがルールである。この時、必ず山側に退避する。間違って谷側に避けると、列をはみ出した馬などに押されて、遥か下の谷に落ちかねないからだ。

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11時過ぎ、岩間を急流が下るタル・フェディ Tal Fedi の沢で休憩、ここから先は急登坂となる。

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ジグザグの山道を登ること約2時間、

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突然前方の谷が大きく開け、河原にタ ルの町が広がった。

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あれだけ深かったマルシャンディの谷がせり上がり、トレイルは広大な河原を伝ってゆく。

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昼食をとったロッジの前で、子供たちがおはじきのような遊びに興じている。

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午後2時出発、トレイルは次第に河原から離れて崩壊した岩肌を登り、

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次第に高度を増して天空の回廊に近づき、
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氷河からの大量の融水が、時に我々を立ち止まらせる。

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深い谷にかかる吊り橋を何度か渡り返しながら、

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4時半ようやく今日の宿泊地ダラパニ Dharapani に到着した。

第2日 ンガディNgadiからジャガットJagat(標高1330m)へ 「強力というもの」 [山登り]

11月1日(月) 

今日から本格的なトレッキングが始まる。

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隣のキャンプ場に幕営したイギリスのグループは、早々に起きだして朝食の準備に追われている。

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我々もロティ(Rhoti チッベット風揚げパン)とポリス (Porrith オートミール)で軽い朝食をとり、早々に出発することにした。

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世界で最も高所にある峠といわれるトロン・ラ・パス付近に源を発し、アンナプルナ連峰のすそ野を囲い込むように流れるマルシャンディ川の渓谷に沿って上流に向かう。

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谷の両側の急峻な斜面には、見上げるばかりの高さまで見事に棚田が開墾されて、遥か天上にまでも続くかのようだ。

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アンナプルナ周回のトレイルの東側ルートは道が細く、奥地まで車が入れない。地元の人たちにとっては大切な生活道路で、日常生活に必要な消耗品や建築資材、

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果ては鉄骨や電線まで何でも人力が便りである。

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その昔日本にも強力という仕事があって、100kg以上の荷物を担いで山に登ったと言われるが、この地方では今も人力や馬力が物を運ぶ主要な手段である。

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午前中5時間の行程を終え、昼過ぎシャンスSyanceの村に入った。石畳の道を挟んで岩場にへばりつくように家が数件並ぶ。つり橋のたもとにある食堂で昼食となった。

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氷河を溶かした激しい流れは、上流に遡るにつれて谷を深く刻み、数km置きに高く掛けられた吊り橋が、かろうじて両岸を結ぶ拠り所となっている。窓からちょうど目の前に見えるつり橋を時折トレッカーが渡って来る。

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食事を終え再び道を登りゆっくりと高度を稼ぐ。ポストモンスーンの今は天候が安定しているが、それでも時に大雨で崩れた斜面がモンスーン期の爪痕を見せる。

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午後4時、マルシャンディの渓谷が数百メートルの眼下に深く落ち込む所まで登ると、前方にジャガットの集落が現れた。朝7時半にナディを発ってから8時間半、長い一日を終えてシャワーで汗を流した。ロッジのシャワーは太陽熱温水器を使ったものが多く、昼は結構熱い湯が出るが午後3時を過ぎると次第にぬるくなり、日の影る5時以降はほとんど冷水に近い。

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早々に身体を拭き、フリースを着込んでテラスに出ると、ポーターの人たちがカードゲームに興じていた。

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