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石窯ピッツァ [食べ物]

今日のお昼はピッツァです。

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古い農家の納屋を改造した建物は、漆喰の白と黒光りする柱のコントラストがとても綺麗です。

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入口の脇にデンと構えた石窯 お昼のお客さんを迎えるために、毎朝9時過ぎから薪をくべて、じっくりと温めています。

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軒の根太の太さと庇の長さが、かつての古民家の名残りを感じさせます。

実はこのお店、葡萄酵母の育成、生地の練り込みは言うに及ばず、薪割りから窯の世話まで、たった一人の女性で切り盛りしています。

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石窯の熱でホッペを真っ赤に染めて焼いてくれたマルゲリータに

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地元のシメジ、マイタケとベーコンの取り合わせ。レモングラスティーと一緒に頂きました。
美味しい

【お店の情報】

石窯ピッツァの店 “Café Hanana”
かすみがうら市五反田 261-1 TEL 0299-37-7778

冬野菜 [野良仕事]

お正月明けに沖縄に行ったりしたので、畑仕事がしばらくお留守になっていました。今日はついこの間までの寒さがうそのような暖かい日差しで、竹を使って隼人瓜の棚を作っていると、じっとり汗ばんできました。

この時期そんなに多くの野菜は採れず、畝起しや土作りが主ですが、

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それでも、掘り起こした土の中には冬ニンジンが育っています。形や大きさがマチマチの人参を洗って土を落とすと色鮮やかで、これで作る朝のスープは格別の味です。

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ピリッとした辛味大根はお蕎麦にうってつけ

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お店ではおとなしく葉を束ねられているホウレン草も、畑からもいだばかりは元気いっぱいで、まるで手足を広げて日光浴をしているような格好です。

これから日が長くなるとともに寒さが緩み、新緑と花の季節になって行くのですが、私にはそれと時を合わせるように飛散し始める杉の花粉が大敵で、ゴールデンウィークあたりまでは我慢の季節です。

柚子柿 [食べ物]

冬は干し柿の季節ですが、今日初めて「柚子柿」なるものを食べました。

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柚子の皮の砂糖漬けを、干し柿で巻いたお菓子です。

薄く切ってお茶請けに。
甘さも控えめでちょっと粋なデザートです。

奈良県産とありました。そういえば吉野の「柿の葉すし」といい、子規の句といい、柿は日本中にあるとはいえ、奈良は柿に縁のある土地なんですね。


ムーチー(鬼餅) [食べ物]

沖縄から帰ってきた息子が、お祝いの初ムーチーをお土産に持って帰って来ました。ムーチーは黒砂糖と餅粉を水で捏ねて、サンニン(月桃)の葉で包んで蒸した食べもので、端午の節句に食べるちまきに似た食感です。

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さっそくお茶うけに頂きました。サンニンの葉が香ばしく、サトウキビのかすかな甘みと良く合います。

今日は午後からぐっと冷え込んで、まさにムーチービーサー(鬼餅寒)になりました。

ライスカリー [食べ物]

今日は池袋のジュンク堂へ

その前に腹ごしらえを。

東口を出て横断歩道を渡るとすぐに

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お目当ての珈琲屋さんがあって

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やや強めに焙煎された珈琲もさることながら、

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昔ながらのカレーの味付けが、結構気に入っているのです。

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といっても創業が私の両親が生まれる前の大正2年ですから(当時は「あさのや」という屋号だったそうです)、その頃の味を知っているわけではないのですが、いわゆるうどん屋さんで作るかつお出汁ベースの和風カレーに近いのです。

さてジュンク堂では、私が国土地理院発行の2万5千地図を探している間に

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太太は Bill Coleman の "THE GIFT TO BE SIMPLE" という写真集を見つけました。Armish の生活の中での子供たちの表情が何とも言えません。

ジャンプ! [遊び]

ブーン・・・

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目を凝らすと、キラキラ輝く飛行機から米粒のような塊が飛び出して

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しばらくすると「バサバサッ」という音とともに、透き通る空にきれいな花が咲きました。

久しぶりにドロップゾーンに遊びに行くと、

   「せっかくだから乗ってきなよ。今日は富士山も見えるよ」

と昔の仲間が誘ってくれました。

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あの頃9人乗りだったキャラバンは、一回り大きくなって19人乗りに

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コパイに座って、お腹に伝わるプロペラの振動を感じながら

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滑走路を飛び立つと

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上越の山は雪化粧

トゥエルブファイブ(12500フィート)まで上がって水平飛行

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そろそろこの辺かな

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皆、バーにつかまって・・・さぁ行くよぉ


タンデムのパッセンジャーはさすがに緊張気味ですが、それでもここまで来たからには腹をくくるしかないのですよ。

それ、

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イチ

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        ニィ

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               サーーーーン! ・・・おっ、消えた

地球に抱かれるように、大空にふぅわりと浮かぶこの瞬間が、何ともたまらないのですねぇ


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つんのめるように急降下するキャラバンからは、お空に開いた雲の孔から地上に降り注ぐ光が見えました。

(東京スカイダイビングクラブにて)


沖縄 (4) 琉球王朝 [ちょっと遠出]

首里城の南に、琉球王朝の歴代尚王とその親族を祀った御陵である「玉陵(タマウドゥン)」があります。琉球王朝は室町時代の1406年から七代64年続いた第一王統と、1470年から明治まで十九代410年続いた第二王統がありますが、この御陵は第二王統の尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために1501年に建てられました。

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御陵を囲む石壁の門を入ると、珊瑚の破片が敷き詰められた内郭の向こうに、石で積み上げられた建物が現れました。多くの観光客が次々に訪れる首里城に比べて、ここには静謐な空間があります。

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台湾の金門で見た「風獅爺」と、玉陵の上部にある石獅子(シーサー)。共に魔除けのシンボルですが、風貌もどこか似ています。

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石壁の近くにとっくり椰子のような大木がありました。太太が受付の女性に聞くと、「とっくり木綿(きわた)」という名前を教えてくれました。見た通り木の幹がとっくりの形をしています。木綿の由来は、この木の種子の中に真綿のように細かい繊維が詰まっているからです。この繊維は水をはじくので、昔は綿入袢纏のようにして船舶の救命胴衣として使われたのだと教えてくれました。

『戦禍』

沖縄に来るのは5度目だと書きました。しかし、これまで先の戦争を記した「ひめゆりの塔」や「平和祈念公園」を訪れることはありませんでした。仕事や行事で来たので時間に余裕がなかったということもありますが、先の大戦でのこの地の過酷な歴史を目の当たりにするのは、荷が重たかったからです。

しかし、今回は慰霊に訪れることにしました。

ひめゆりの塔

土産物屋が立ち並ぶ国道沿いの駐車場に、様々な色の大型観光バスが並び、団体客が次々に降りてきます。

入り口で生花を買いました。

   「寒いですねぇ」

と言うと、花を渡してくれた「おばぁ」は

   「去年の今頃は半袖だったさぁ」

と言いました。何せ今年は鹿児島の市街でも雪が積もっているのですから。

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慰霊碑の前に生花を捧げてから資料館に入りました。終戦の直前にここで犠牲になった生徒たちの数は二百数十人、全生徒の半数以上です。年齢は11歳から18歳。壁に貼られた少女たちの眼差しを受け、息苦しさを感じながら足を運びました。


平和祈念公園

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ここの慰霊碑「平和の礎」には、沖縄戦で命を失くした人たちの名前が刻まれています。アメリカ兵、日本兵、そして沖縄の人々・・・延々と続く名前を見ていると、その人たちや家族との別れが思い起こされて、戦争が強いた計り知れない犠牲に心が痛みます。

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海を見渡す丘の上には、都道府県ごとの慰霊塔があります。故郷から遥か遠く離れた地に送られた兵隊たちも、その大多数は生きて再び故郷に戻ることはありませんでした。


美しい自然の中で神々に祈る生活を送っていた沖縄の素朴な人たちが、兵士とともに最後まで戦うことを強いた教育とは何だったのか

ひとりひとりが大切な家族や生活を犠牲にして守るべき「お国」とは何だったのか

飢えと病と恐怖に慄きながら、「ガマ」と呼ばれる洞窟に身を寄せ合った人々は、何を心の拠り所としたのか

あと半年終戦の決断が早ければ、沖縄、広島長崎の人々は助かっていたのに、誰が何のために決断を遅らせたのか

・・・


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強い潮風に白い波頭を立てる海を見ていると、次から次へと沸いてくる疑問にやるせない思いがこみあげてきます。

ただただ冥福を祈るばかりです。

沖縄 (3) 沖縄料理と島唄 [ちょっと遠出]

今回の沖縄の旅、実は長男のお嫁さんがお里でお産をしたので、赤ちゃんの顔を見に行くのが大切な目的です。今月の22日は、子供が生まれて最初のムーチーの日(旧暦の12月8日)で、庭のサンニン(月桃)の葉でお餅を包んだカーサムーチーを作ってお祝いをしてくれるそうです。

さて、沖縄料理といえば、すぐに「ゴーヤチャンプルにソーキそば」を思いつきますが・・・
お嫁さんのお母さんが作ってくれる家庭料理が実に美味しいのです。

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島豆腐にアイゴの稚魚の塩辛を乗せた「スクガラス」、刻み昆布と豚の三枚肉、蒟蒻を炒めた「クーブイリチー」

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三枚肉と蒟蒻、シイタケなどを白みそで煮込んだお汁「イナムルチー」、それに「麩とチキナー(からし菜)のチャンプル」・・・

次々に運ばれる手料理に舌鼓を打ちました。


久高島の徳仁漁港では、

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地元の海ぶどうを器いっぱいに乗せたどんぶりや、獲れたての「イシミーバイ(ハタ)の魚汁」を頂き

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東風平(こちんだ)の小さな食堂ではフーチ葉(よもぎ)麺とテビチがたっぷり乗った「うちなあ(沖縄)そば」や「タコライス」など

たまたま入ったお店ですが、どれをとっても『おとがいが落ちまっせ!』といった美味しさです。


そして、沖縄に来たとなれば、何といっても『泡盛』と『島唄』は欠かせないでしょう

・・・と太太は言います。当然私も同意見です。

そこで二日目の晩、島唄を聴きながら泡盛が飲める居酒屋に出かけました。

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「ヒラヤーチ」や魚のすり身の揚げ団子「チキアギー」

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塩漬け三枚肉を焼いた「スーチカー」や「ミミガー」などを肴に一杯。こんな時には、飲みやすい「琉球王朝」や「久米仙」よりも、少し癖のある「菊の露」のクースー(古酒)なんかが良く合います。


     海の青さに 空の青

     南の風に 緑葉の

     芭蕉は情けに 手を招く

     常夏の国 我した島沖縄

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サンシンにのせて唄われるゆったりした節回しが哀愁を呼び、程良く酔いがまわります。

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そう、久高島でも感じたけれど、この通りだなぁ・・・

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そして、〆はやっぱり皆さんそろって元気よく「カチャーシー!」・・・ですね。

沖縄 (2) ニライカナイ [ちょっと遠出]

明け方四時、激しい風と窓を打つ雨の音で目が覚めました。本格的な冬型の気圧配置で寒波が来襲し、海は大荒れです。テレビニュースでは沖縄本島周辺では4mの高波、五島列島の西では小型船が行方不明になったと言っています。風と波は次第に強くなり、この分では数日足止めを食うかと心配していると、唸る風の合間に「今日は朝の一便だけフェリーを運航します」というスピーカーの放送が聞こえました。

徳仁港に行くと、今日一本だけのフェリーを逃すまいと、島の人たちが三々五々集まって来ました。午前九時、いよいよ出港です。港の防波堤から外海に出ると、船はまともに荒波を受けてシーソーのように揺れだしました。

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波頭が強い風にちぎられ、時折ドーンと打ち付けられるように波の間に落ちたり、青黒い海が目の前にせり上がって来たりすると、さすがに身体が強張ります。

30分ほどで荒波を抜け、安座真の港に入ってようやくほっとしました。船酔いを避けるため朝ごはんを食べずに出たので、安心すると急にお腹が空き、丘の上のレストランに行って朝食を採ることにしました。

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レストラン「くるくま」のテラスからは、太平洋が一望に見渡せます。残念ながら雨雲が垂れこめていましたが、それでも時折雲の間から陽が透けると、目の前に広がるサンゴ礁の海がうっすらと碧色に染まります。


ヤハラヅカサと浜川御嶽

食事を済ませた後、玉城、百名の海岸に下りました。ここの沖合にあるヤハラヅカサとシオバナツカサのふたつの岩は、琉球の国の初めの神であるアマミキヨが降り立った場所といわれ、仮住まいしたとされる浜川御嶽とともに、琉球の聖地巡礼である東御廻い(アガリウマーイ)の拝所のひとつとなっています。

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浜川御嶽は鬱蒼と茂った樹林の中にありました。

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折り重なる岩の間から深い空洞を覗きこむと、奥の方に清らかな水の流れが光っていました。

岩の裏に回って海岸に下りると

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波に浸るヤハラヅカサに向かって、お祈りを捧げている人が居ました。御嶽信仰は長い時代を経て、今も日常生活の中に受け継がれています。

古来、現世と死後の世界をつなぐ聖域とされてきた沖縄の御嶽の多くは、人が容易に入ることを拒む海辺の洞窟や山の中にあります。台湾の離島を訪れると、同じような所に原住民の祈りの場が見られ、これらの信仰は南西の島々に共通して見ることができます。

十数年前、大峯山奥駈の最終日に、最後の靡(なびき)である熊野の西岸渡寺から、彼方に光る熊野灘が見えました。その先には観音浄土の補陀落(ポータラク)があるとされています。御嶽信仰で東方の海にあるとされるニライカナイと補陀落浄土・・・文化の源は違っても、そこに祖霊神や仏が居ます聖なる地があるという思いには相通じるものがあります。

スイス言語学者ソシュールが言うように、文化が違うということは、ことばによって表現されている世界の本質も異なっているということで、ある文化が持つ「ことば」を異文化のことばで比喩的に語ろうとすることは危ういことかもしれません。しかしその一方で、違ったことばで表現されている異文化のルーツが、本質的には同じ世界から出てきたのではないかと考えたくなるのも素直な気持です。


沖縄 (1)  神の降り立つ島 [ちょっと遠出]

沖縄を訪れるのは5度目です。美しい海、島唄、そして語り継がれる戦争の傷跡・・・様々な側面を持つこの島を、少し静かに巡ってみることにしました。

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天気予報ではシベリアから寒気団が南下しつつあると言われていましたが、出発の日はまだ穏やかで、機上から冠雪した富士山が望めました。

『神の降り立つ島』

沖縄には琉球固有の自然信仰として生まれ、琉球王朝の時代に国の宗教として祭政一致の行事が司られた信仰があり、祖先の霊や神が訪れる自然の聖域である「御嶽(うたき)」と呼ばれる場所を拝み処として神事を行い、異界・他界に平安や豊穣を祈ります。

琉球の信仰では最高神であるティダ(太陽)が昇る東方に重きが置かれ、殊に首里城から真東に当たる知念村(現在の南城市)には、斎場(セーファー)御嶽、久高島のフボー御嶽、藪薩(ヤブサチ)御嶽など、琉球開關に関わる七つの御嶽のうち、四つの聖地が集中しています。


斎場御嶽


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初めに斎場御嶽を訪れました。ガジュマルの気根が岩を覆う鬱蒼とした森の中を進むと、

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御嶽の一番西の端に寄満(ユインチ)があり、豊穣に満ちた場所として祀られています。

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寄満の反対の東の端に三庫理(サングーイ)があります。巨大な二つの鍾乳石が作る薄暗い空間をくぐりぬけると、

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木々の合間から波間に浮かぶ久高島が見えました。久高島はここから真東の位置に当たります。


久高島

知念の安座真港を午後三時半に出航する船に乗り、久高島の徳仁港に着きました。

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港近くに肩を寄せ合う小さな集落には人影もなく、今夜泊まる民宿を探しながら歩いていると、学校の校庭で工事をしているおじさんがいました。訪ねると、「あぁ、それならすぐそこさぁ」と教えてくれました。立派な建物が立っているので、

「島にはこんなにたくさん子供がいるの?」

と尋ねると、

「半分は留学生さぁ」

とのことでした。以前NHKのドラマ「瑠璃の島」で描かれことがありますが、廃校の危機に直面した過疎の島の小・中学校で、島の人が「里親」となって島外からの児童を里子として受け入れる「離島型山村留学」が行われています。


民宿に荷物を置いて、自転車で島を巡ることにしました。
港のすぐ近くにある「サバニ」という名のお店に自転車を借りに行きました。サバニとは木を刳りぬいた小さな舟という意味だそうです。

「6時半まで2時間貸してください」

と言うと、それまで釣りに来ていた若者と冗談を言っていた店の奥さんが、急に真顔になって日没の時刻を調べ、

「今は日が沈むのが5時半過ぎだから1時間にして。暗くなる前に絶対に帰ってきてくださいね。島の北と西は私たちも夜は近づかない所だから」

と、私たちに念を押しました。

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昔ながらの建物が残る集落を抜けると

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あとは一本道。島の南側の海岸に沿って走る砂の道は、海側にマングローブなどの木が生い茂っていて、時折林の合間から海岸に降りる道の先に細く砂浜が見えるだけで、潮騒と風に揺れる木々の音だけが聞こえます。

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雨上がりの水たまりに車輪を取られながら30分ほど行くと、いきなり視界が開けて島の先端「カベール岬」へ出ました。ここは琉球島の開祖神である阿摩美久(アマミキヨ)が降り立った聖地とされ、神々の意思は遠い海の彼方ニライカナイからこの島に来て、斎場御嶽に伝えられるとされています。南国特有の植物クバが生い茂った海岸に、打ちつける波の音だけが響いていました。

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しばらく海を見ていましたが、店のおばさんの言った言葉を思い出し、傾き始めた陽を追いかけるようにペダルをこぎました。

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珊瑚の削られた星砂の浜が続く南側と打って変わって、島の北側の海岸は、せり出した台地が急に海に落ち込む断崖が続きます。

島の中ほどにあるフボー(クボウ)ウタキは、イザイホーなどの神事が行われる琉球で最も霊威の高い聖地で、普段は誰も入ることが許されません。御嶽に続く道の入口あたりから中を少し覗いてみましたが、そう言われるまでもなく、今にもキジムナーやブナガヤが出てきそうな暗い空間で、自然に足が固まってしまいます。

徳仁港まで帰ってくると、サバニのお店のガラス戸には、「本日終了しました」の札が掛けてあり、裏に回ると開いた勝手口からサンシンの音が聞こえて来ました。

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港を見渡す丘の上では、数人のお年寄りが刻一刻と沈んで行く夕陽に染まる西の海を眺めていました。彼らの交わす言葉は全く分からず、まるでよその国に来たような錯覚にとらわれます。

朝日を拝み、小さな畑を耕し、サバニに乗ってその日の魚を採り、夕日に感謝する・・・そんな素朴な生活がそのまま残っている・・・久高島はまさに『神の降り立つ島』でした。

年の初め [季節]

新しい年の門出を祝うかのように、済み渡った青空が広がり、風もない穏やかな朝です。

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御幣の飾られた鳥居をくぐり

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    祓え給い 
    清め給え
    神ながら 
    奇しみたま
    幸えたまえ

と三唱し、二礼二拍手一礼をして
今年の平安を祈ります。

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甘酒のおもてなしと

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焚火のぬくもりに、身の内も外も温められます。

近所の氏神様にて

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