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笠間 [ちょっと遠出]

今日は笠間にある陶芸美術館を訪れました。

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美術館に行く途中、腹ごしらえをしようと、看板を伝手につくば山麓の小さな蕎麦屋さんに行きましたが、お店の入り口で思わずビックリ。実はこのお店の名物はしし鍋だそうで、冬の間ご主人が近くの山で撃ったイノシシで鍋料理を出しているそうです。


井戸水が大鍋から溢れている厨房の向いに座ると、カウンター越しにほんのり甘酸っぱい香りがしてきました。太太が

「あっ、ゆずの香りだ」

と声を上げると、中にいたおばあさんがニコニコしながら、

「あんたたち、どっから来たべ。柚子持ってぐか?」

といいました。てっきり2,3個くれるのかと思って遠慮なく

「ください!」

と言うと、おばあさんは傍にいた娘さんに

「裏さ行ってちょっともって来な」

と言いました。しばらくすると娘さんはスーパーの手さげ袋いっぱいに詰めた柚子を

「はい」

といって手渡してくれました。

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余りの多さにこちらが恐縮していると、おばあさんは

「畑にいっぱいあるからさ、小さいっけんど味はいっしょだからな」

といって相変わらずニコニコしています。丁寧にお礼を言ってお店を出ました。


笠間は陶器で知られた町、信楽から笠間を経て益子にその系譜が受け継がれました。質の違う土を重ねて練り合わせ、焼き上げた表面に現れるひび割れで微妙な色合いと質感を醸し出す「練上げ」の技法を使った松井康成の作品や、釉薬の下から絵柄が湧き出る板谷波山作の「釉下彩」など興味深いものでした。

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美術館の一角にあるお店で、小さな箸置きが太太の目にとまりました。素朴でかわいらしい図柄が気に入ったようです。

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年の瀬で皆さん正月の準備に忙しいのか、館内は人もまばらで、お蔭でゆっくりと観賞することができました。外に出るとまだ4時前だというのに、太陽が山の端に傾いて冷え込んできました。

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梨狩りも終わってすっかり冬景色になった果樹園ですが、もう新芽が春を待っています。
今年も残すところあと数日です。色々なことがありましたが、来る年が皆さんにとって良い年でありますように。

手作りベーコン [食べ物]

お仕事で大変お世話になったSさんから、手作りベーコンワインを送っていただきました。

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ずっしり重たい袋を開けると、香ばしい燻製の香りがします。

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早速スライスして、

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ワインと一緒に頂きました。
ベーコンってこんなに美味しいものだったんですねぇ。

朝からお酒というのも何ですが、ま、今日は天皇誕生日お祝いということで。




梅蘭炒麺 [食べ物]

今日は息子の家に行った後、中華街で食事をしました。以前立ち寄ったお店の炒麺(焼きそば)が一風変わって面白く、太太が真似をして家でも作ってみたのですが、どうやら出来栄えに納得できなかったようで、「もう一度良く見てチャレンジする」と再びこのお店にやって来たのです。

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狭い間口のこのお店は結構人気があるらしく、土曜の今日は6時前に行ったのにもう満席で、しばらく外で待たされましたが・・・

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はい、出て来ました。これがこのお店の炒麺です。一見麺の塊りですが、中に五目そばのようなとろりとした「アン」が入っています。(お箸をつけたら食べることに熱中して、肝心の断面図の写真を撮り忘れてしまいました)。

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酸辣湯も定番です。

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小さいお店が軒を並べる師走の中華街を歩いて

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お線香の匂いをかぐと、台湾の街並みが懐かしく思い出されました。

さて、炒麺の方ですが、、「記憶が鮮明なうちに」と、明日出てきたらどうしましょ
私としてはちょっと間を置いてくれた方が有難いのだけれど。。。

姫路から大阪へ [ちょっと遠出]

昨日小豆島に泊らずに姫路に渡ったのは、大阪に行く前に姫路城をゆっくり見たかったからです。来年から5年の歳月をかけて大修復が行われる間は、建物の外側が足場ですっぽり覆われてしまうのです。

お城の見学は9時からなので、その前に内濠の周りを少し歩きました。

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南勢隠門から見る好古園の漆喰塀。お濠に沿って見事な曲線を描いています。

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お濠を挟んで姫山の原生林と向い合う紅葉の林には、落ち葉が絨毯のように敷き詰められていました。

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城の北東にある市立美術館。明治38年に竣工したこの建物は、大正初期まで陸軍の兵器庫として使われていました。赤レンガの外壁が見事です。

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大手門から橋を渡って三の丸広場に入ると、まさに白鷺城と呼ばれるその名前にふさわしく、大きく翼を広げたお城の全貌が現れました。

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1333年の赤松氏による築城開始から、1581年の秀吉による天守閣の完成まで、実に250年の歳月をかけて現在の姿が完成しました。高く積み上げられた石垣の上に聳え立つ天守閣は、とても木造建築とは思えない威容を誇っています。

姫路を出て大阪の曽根崎新地に向かいました。ギター部の同窓会の前にクラブの先輩Sさんが開いている喫茶店に立ち寄るためです。大学の最寄り駅からほど近い所にあった彼の下宿には、いつもクラブ仲間の誰かがいて、終電に間に合わなくなった連中や、通学の面倒くさくなった遠方の自宅通学者が四畳半の狭い部屋に、入れ替わり立ち替わり寝泊まりしていました。Sさんはそんなことを苦にする風でもなく、いつも皆を受け入れてくれました。お蔭で彼自身は卒業証書をもらわず終いでしたが、その責任の90%以上は私も含めて押しかけ続けた仲間のせいじゃないかと、少し後ろめたく思っています。

カランコロンとベルの鳴る扉を開けると、カウンターの中に懐かしい顔がありました。モーツァルトが死ぬほど好きで、店の名前につけてしまったSさんは、幾分白髪が目立つようになったものの、学生時代と変わらない柔和な笑顔で迎えてくれました。程よい時間をかけて淹れてくれた馥郁たる香りの珈琲が、しばらく会うことのなかった空白の時間を埋めてくれるかのようです。

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喫茶店を少し早めに出て、堂島川のほとりを散策しました。かつてここにあった大学の古い建物は取り壊されて立派なビルが立ち並び、悪臭を放っていた川も遊覧船が行き交うまでになりました。

さて、いよいよ宴の始まりです。当初は飲んで食べて旧交を温め、酔いの回ったところでテキトーに千鳥足のギターを奏でるだけだったこの会も、6年前に『Tango03』バンドを結成してからはライブハウスの風を呈し、今では食事つき演奏会のようになりました。もっとも曲が始まると、聴衆より演奏者の方が多いのですが・・・。

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バンドにはギターの他に

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チェロやギタロンも加わって、学生時代に比べると、皆の体重ばかりでなく演奏にも「重み」が増し、白髪や皺とともに円熟味が出てきました。

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竹山さんの弟子のまた弟子になり、ギターを太棹に持ち替えた先輩の演奏も、この会の定番になりました。多少酩酊気味の「じょんがら」にも、仲間からはやんやの喝采です。

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恒例の景品くじ引きの時間になって、幹事さんが「わざわざ東京から来てくれてありがとう」と、特別に無抽選で『堂島ロール』を手渡してくれました。実はこのケーキのことは知らなかったのですが、家に帰ると太太が、「さっきテレビでやっていた日本のスイーツ人気ランキングで第二位よ!」と教えてくれました。テレビを見ていたところに私が現物を持って現れたので、絶妙のタイミングに大喜びでした。

【お店の情報】

『あまでお』 大阪市北区曽根崎新地2-5-32 TEL 06-6345-0074
コーヒーの味は 太鼓判 です。

瀬戸内の旅(3) 小豆島 [ちょっと遠出]

昨晩は旧友と深夜まで盃を交わして、身体から酒が抜けきらないまま朝になってしまいました。朝早めの船に乗り、真っ青な空と穏やかな風に誘われて、甲板で瀬戸内の島々を眺めているうちに、1時間ほどで小豆島の土庄(とのしょう)港に着きました。

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小豆島を訪れるのは初めてです。この島に関して知っているのは、昔見た映画「二十四の瞳」の舞台となった島であることと、日本では数少ないオリーブの産地であることくらいです。そこで希望の場所をいくつかあげて案内をしてもらえるカスタムツアーガイドをお願いすることにしました。

港に着くと、この島を気に入って定住してしまったというガイドの青年R君が、にこやかに声をかけてきました。夕方の船で姫路に行くために時間が限られた今日の予定は、美しい棚田や伝統歌舞伎の舞台を訪れる『里山コース』を基本にして、オリーブ園と醤油の醸造元を加えてもらうということになりました。

笠ヶ瀧不動尊

初めに向かったのは、山岳霊場の笠ヶ瀧不動尊です。

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落ち葉の積もる長く急な石段を上り詰めると、

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その先には、かつて行場であったほぼ垂直の岩壁にへばりつくように本堂が建っていました。

里山風景

笠ヶ瀧でのお参りを済ませた後、山から一旦下って島の奥に入って行くと、肥土山と中山の集落があります。

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日本の名水百選にも選ばれた「湯舟の清水」が広がる山間には、山の上まで棚田が広がっています。場所の高低、日当たり、水はけ等々を皆が公平に分かち合うため、一戸が受け持つ小さな棚田はあちこちに分散していて効率が悪く、高齢化の影響も受けて作業のきつい高台から徐々に休耕田が広がっていくのを見るのは残念なことです。

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「歌舞伎の島」と呼ばれた小豆島には、かつては150近い舞台があったそうですが、今でも中山と肥土山の二つの集落では、春と秋の年二回、伝統の歌舞伎が催されています。裏方を含めて多くの人たちが協力しなければならない歌舞伎は、普段から皆が作業を協力する農村ならではの伝統文化のひとつです。

井上誠耕園

R君と一緒に美味しい讃岐うどんの昼食を済ませてから、オリーブを栽培している井上誠耕園を訪問しました。ここ数年、太太が通販で購入しているオリーブ関連製品を作っているのがどんな所なのか興味があったからです。

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日当たりのよい山の南斜面一杯にオリーブが植えられた農園を訪れると、農園の方が多忙な作業の合間を縫って、オリーブの栽培やオリーブオイルの製造について丁寧に説明をしてくれました。

完熟の実や、緑化状態の実を手摘みで収穫した酸化度が極度に低い搾りたてのエクセラバージンオイルは、りんごや草の香りのする驚きの味でした。

平井製麺

讃岐といえば当然うどんが有名ですが、日照時間が長く風の強い小豆島は、そうめんの産地としても有名です。

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R君一押しの平井製麺に伺いました。ご主人は会社勤めを辞めてそうめんに打ち込んで三十年になるそうです。うどんやそうめんは、小麦粉と塩、水が原料の素朴な食べ物ですが、それだけに気温、湿度など天候に敏感です。ご主人の話では二年ほど前からようやく麺と対話ができるようになったそうです。達人の境地ですね。

山六醤油

祖父母が小豆島で醤油製造業を営んでいたという高松の友人が、島に行ったら是非小さな樽元を訪ねてみてくださいと教えてくれました。山六醤油は130年来の杉の大樽を使って昔ながらの製法を踏襲する数少ない蔵元です。

醤油も酒や味噌と同じ寒仕込みですが、発酵と熟成のために夏を二回越さねばならず、気の長い仕事です。小規模で職人に徹していた四代目のお父さんは、自分の代で蔵をたたむ積りでいたそうですが、熱心な五代目がそれまでの都会での仕事を辞めて、何とか口説いて暖簾を下ろさずに続けたそうです。

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ご主人が、丁寧に中を案内してくれました。重い扉を開いて薄暗い蔵に入ると、芳醇でほんのり甘い熟成された醤油の香りが漂ってきます。杉樽の中からひょいと摘まんでくれた二年物のもろみは、何とも言えずまろやかで深い味わいでした。

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気さくでウィットに富んだ若旦那さん(五代目)。カメラを向けると選挙ポスターのようなポーズをとってくれました。

旅の楽しみは、その土地の歴史や、そこに住む人々の営みを知ることです。史実や履歴は書物で知ることができますが、今の人たちがそのような歴史を踏まえてどのように生きているのかを、短い旅の間に知るのは容易ではありません。そういった意味で今回のガイドツアーでは、一人旅ではできない貴重な体験をさせてもらいました。R君のように若い人たちが中心となって、島の内外に「顔の見えるネットワーク」を形成している様子を見ると、次の世代への頼もしさも感じました。

朝9時に小豆島に渡ってからあっという間の一日が過ぎて、船が福田港を出発する時刻になり、R君にお礼を言って、慌ただしく船に乗り込みました。

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瀬戸内に浮かぶ島々は花崗岩質で、秀吉が大阪城の石垣用に切り出した小豆島を始めとして、今なお石切り場が多く、島々は無残な姿を晒しています。

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沈む夕陽に映るシルエットからは分かりませんが、都会の発展のために原形を留めぬほどに石材を切り崩し、都会の廃棄物を受け入れた瀬戸内の島々を見た時、かつての美しい姿を知る人たちは何を感じるでしょうか。

今、高松、瀬戸内の島々を舞台に新しい芸術の試みが企画されています。このような活動から、人々のネットワークが広がり、新たな風が吹くことを期待しています。

瀬戸内国際芸術祭2010

小豆島のガイドツアー Dream Island  NPO法人
香川県小豆郡土庄町甲906-1 TEL 0879-62-5963
http://www.dreamisland.cc

井上誠耕園
香川県小豆郡小豆島町池田2352 TEL 0120-75-0223  
http://www.inoueseikoen.co.jp/

平井製麺
香川県小豆郡小豆島町西村甲1912 TEL 0879-82-1791

山六醤油
香川県小豆郡小豆島町安田甲1607 TEL 0879-82-0666  
http://yama-roku.net/

瀬戸内の旅(2) 崇徳院ゆかりの地 [ちょっと遠出]

今回の旅のもうひとつの目的は、崇徳院ゆかりの地を訪ねることです。保元の乱(1156年)で敗れた崇徳院は流罪に処され、瀬戸内の直島で三年の歳月を過ごした後、讃岐の雲井御所に移り、最後は鼓ヶ岡で崩ぜられました。

東京から500km以上も西に離れるといつもより日の出が遅く、薄暗闇の中で近くのお寺からドーン、ドーンと腹を突くような太鼓の音が聞こえてきました。宿のご主人は私の顔を見て、「生憎の雨ですねぇ」と申し訳なさそうに言いましたが、神社の雨は吉兆とも言います。

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カラカラと格子戸を開けて朝の町を通り抜け、街の南のはずれから霧雨に濡れた坂道を上ります。しばらく行くと道が左右に分かれ、どちらに行こうかと思案していると、犬を連れて散歩をしていた人が、「あぁ“天皇さん”ならこの先をもう少し行くと左手に屋根が見えますよ」と教えてくれました。地元の人は崇徳院の御陵のことを“天皇さん”と呼ぶようです。

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御陵は、はだかる様に立つ真新しい社殿の奥にあり、門の前には虚空を見上げる西行法師の像が置かれていました。

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クヌギの落ち葉と苔に覆われた長い石段を海岸まで下りてくると、

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墨を流したように凪いだ積浦(つむうら)の湾に出ました。怨念の日々を重ねた崇徳院は、この地に立って遥かに都を見遣ったのでしょうか。

昼前の船で直島を発ち、高松に戻って五色台の白峯寺に向かいました。

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白峯寺は四国八十八か所の第八十一番札所として、今も多くのお遍路さんが訪れています。

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崇徳院の御陵は勅額門をくぐった頓証寺殿の裏手にありますが、お堂の裏にひそやかに祀られた御陵に気付く人はそう多くありません。

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鼓ヶ岡のお社は、白峯寺から山を南に越えた讃岐府中にあります。崇徳院は雲井御所から鼓ヶ岡に移られ、6年の歳月を過ごされた後崩ぜられました。

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雨月物語の冒頭には「西行の旅の一夜に現れた崇徳院が、“ことごとく海に葬りつくす”と呪詛した平家一門が壇ノ浦で海に消えた後、ようやく崇徳院の霊は讃岐を訪れる誰もが幣帛(へいはく)を捧げて参詣する神となった。」と記されています。800年以上の時が流れた今も、四国が祈りの地であることに変わりはありません。

瀬戸内の旅(1) 直島 [ちょっと遠出]

久方ぶりに学生時代のクラブ仲間の集いに参加することになりました。折角関西に行くので、その前に瀬戸内まで足を伸ばすことにしました。旧来の友と会うために東京から高松に飛び、そこから直島、小豆島をたどって姫路に渡り、大阪に向かいました。

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快晴無風の好天に恵まれて、高松港からの船のデッキは、師走だというのにうららの陽気です。

「地中美術館」は、敷地内の建物・景観を含めたすべてが作品なので、写真撮影をすることができません。デジカメを持つようになってから写真を撮ることに慣れてしまって、目にしたものをじっくりと心に焼き付けることが不得手になったように思います。

音楽そのものを言葉で説明することができないように、造形を言葉で語ろうとするのはむなしい試みですが、これまでにない新鮮な印象を受けたので少し触れてみましょう。

地中美術館の中にはモネの「睡蓮」が、この作品のために設計された部屋に置かれています。地上から導かれた柔らかい自然光に包まれた睡蓮は、これまでに見た睡蓮とは全く違った印象を受けました。安藤忠雄の設計による直線を基調とした建物の中にあって、床や壁の境界が感じられない空間に置かれた5枚の絵は、まるで空中に漂っているかのような錯覚にとらわれます。

家プロジェクト

今回の旅の目的のひとつは、杉本博司がプロデュースした「護王神社」を訪れることです。

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陽が傾きかけて薄暗さの増した三輪途道の石段を上って

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八幡神社を通りぬけると、

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海を望む丘の上にそのお社はひっそりと佇んでいました。

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後の世の人が威厳を求めた荘厳な建造物に比べて、無駄な部分を極限までそぎ落とした細身のお社は、「神の降り立つところ」としての本来の姿に戻ったようです。

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地下の石室を出ると、木々の間から薄紅色に染まる瀬戸内の海が開けました。

田舎そば [食べ物]

今日のお昼はおそばです。

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簡素な店構えの暖簾をくぐって

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玄関に入ると、意外やとても落ち着いた雰囲気で、それもそのはず、わざわざ新潟の六日町から古民家を移築したそうです。

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私は熱々の揚げたて天ぷらを添え、太太は辛み大根のおろし汁で、腰がしっかりとしたそばを頂きました。

こんな田舎で(といっては失礼ですが)しっかりとした仕事をしている蕎麦屋さん、興味が湧いて少しお話をすると、親父さんは川口の店を弟子に任せて、二年程前に流れて(ご本人いわく)来て、一度で八郷が気に入ったそうです。

親父さんは「ま、隠居みたいなもんだから。今日も天気がいいんで、店閉めてどっか行こうかと思ってたら客が来ちゃった。」と、至って商売っ気なしですが、味の方は大したもんです。

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ストーブの温もりがある食堂からテラスに出て景色を見ると、親父さんがここを気に入った理由が良く分かりました。

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目を凝らすと紅葉した向かいの山腹から、上昇気流に乗ってパラセールが悠々と大空を飛んでいました。

「泰旬庵 そば 風」 石岡市(旧八郷町)上曽 761-3
川口の店は「名倉」です。
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